わたしに祈るなら、わたしを見つける

エレミヤ.

わたしに祈るなら、わたしを見つける

神に従う、神の民として生きる


29:10 まことに、主はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。

29:11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

. 29:12 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。

. 29:13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける


ソロモン王以降、イスラエルは北と南に国が分かれていました。

紀元前722 アッシリア帝国により、北イスラエル王国は滅ぼされます。

南ユダ王国にいたイスラエルの民は、紀元前586年にバビロニア帝国に滅ぼされます。


イスラエルの歴史において、国が消滅するという最も、悲劇的な時代。

エレミヤは、南ユダ王国が滅びることを預言した預言者です。


南ユダ王国はアッシリアから圧迫されていましたが、

バビロニア帝国が台頭し始めると、アッシリア帝国の力も弱くなり、

比較的自由が与えられていました。


その間、南ユダの国はエジプトの支配下に入りました。

ところが、バビロニア帝国は、エジプトに戦って勝ったのです。


その結果、南ユダ王国は、今度はバビロニア帝国の支配下に入りました。


その後、ネブカデネザルがバビロニア帝国の王になると、

ユダの王族の一部の者たちをバビロニア帝国に捕らえ移しました。


(ちなみにダニエルもこの中に入っています・彼はエレミヤの予言を聞いていたことでしょう)


Jer. 1:4 次のような主のことばが私にあった。

Jer. 1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から あなたを知り、

あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、 国々への預言者と定めていた。」

Jer. 1:6 私は言った。 「ああ、神、主よ、 ご覧ください。

私はまだ若くて、 どう語ってよいか分かりません。」

Jer. 1:7 主は私に言われた。 「まだ若い、と言うな。

わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、 わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。

Jer. 1:8 彼らの顔を恐れるな。 わたしがあなたとともにいて、

あなたを救い出すからだ。 ──主のことば。」


エレミヤが20歳くらいの頃に語られた、主の言葉。

“若い”、と言う言葉は、ヘブライ語の表現で乳児と言う意味がある。


自分には到底及ばない、国々の預言者なんて無理でしょ。と答えている。

しかし、神は全てのことを語れ。とエレミヤに告げるのです。


お構いないの命令、なぜなら、”わたし”が遣わすからなのです。


Jer. 1:16 わたしは、この地の全住民の悪に対して ことごとくさばきを下す。

彼らがわたしを捨てて、 ほかの神々に犠牲を供え、 自分の手で造った物を拝んだからだ。

Jer. 1:17 さあ、あなたは腰に帯を締めて立ち上がり、

わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。 彼らの顔におびえるな。

さもないと、わたしがあなたを 彼らの顔の前でおびえさせる。(彼らの面前で打ち砕く)


人に怯えてしまい使命に生きることを怠るなら、

神から打ち砕かれると言っている。


神からの強い迫り。

召される。召命。

語りかけを受ける。


神から、与えられる召命。言葉。どんな形でもいい。

※与えられたみことばをしっかりと握り続ける必要がある


迫害を受けながらもエレミヤが大胆に語り続けられたのは、

神から命じられた言葉を、握り続けていたから。

神から語られた言葉は、これほどまでに私たちを強くするのです。


神は、エレミヤに偶像礼拝の罪の結果、裁かれることを告げさせる。


”彼らがわたしを捨てて、”←裁きの原因


また、エレミヤはその時、バビロンに仕えなければならないと、御心を民に告げました。


宮が廃墟となる。と告げる。

バビロンに滅ぼされることを、語った。


自分の都合ではない、神の言葉を伝える使命。

みこころの全てを語る。神が中心であることが、大切なこと。

イスラエルの民に神に対する態度をあ改めるように語っている。


しかし、エレミヤが語った予言は民にとって、受け入れがたいものでした。


というのも、南ユダのゼデキヤ王は反バビロン同盟を展開しており、

南ユダの方向性としては、バビロンと対峙し、戦う姿勢でいたからだ。

神の民として、叛逆したかった。


エレミヤの予言は国の政策とも、民の心とも反していたのです。


Jer. 28:1 その同じ年、ユダの王ゼデキヤの治世の初め、第四年の第五の月に、ギブオン出身の預言者、アズルの子ハナンヤが、主の宮で、祭司たちと民全体の前で、私に語って言った。

Jer. 28:2 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、バビロンの王のくびきを砕く。

Jer. 28:11 そしてハナンヤは、民全体の前でこう言った。「主はこう言われる。このとおり、わたしは二年のうちに、バビロンの王ネブカドネツァルのくびきを、すべての国々の首から砕く。」そこで、預言者エレミヤは立ち去った。


さらには、偽預言者ハナヌヤが、(異教の預言者たちも同じようなことを言っている)

ゼデキヤ王の政策を後押しするような偽の予言もあり、


平和的で、二年で敵国に勝利するという、偽りの希望は、人々の願望とかさなり、

エレミヤの真実な予言を受け入れる者は、いなかったのだろう。


人都合の偽預言・本当の預言は神の側にある


彼らは、私たちには主の宮がある。

神がともにおられる!だから大丈夫と思っていた。


お守りをもっていれば何でもやっていいような状態


ある意味信仰的とも言えるが、

その信仰の中身は偶像礼拝で満ち溢れ、不品行を行っていた。


神殿に偶像を持ち込み、

さらにはモレクという偶像に、赤ちゃんを焼いて捧さえした。


※悪を自覚しない開き直りタイプ・自分は大丈夫だ!という根拠のない確信により、

自己改善しないタイプ


私たちも気をつけなければいけない。

いくら信仰深かったとしても、

その信仰が神に繋がっていなければ、

偶像であり、不品行につながる。


※礼拝・奉仕・デボーションを通して、神ご自身とつながることを心がけなければならない


エレミヤの、バビロン王に仕えよ、70年後にエルサレムに戻る、神の時を待てと言う予言は、

イスラエルの王ゼデキヤにとっても、民にとっても、不愉快で不都合なものであった。


民が注目していることは、災いに合わないという点である。

しかし、神が注目していることは、御声に聞きしたがっているということだ。


しかし、エレミヤは全て神からの言葉を忠実に伝えていただけなのだ。

神のことばは、人間の都合の良い言葉ではない。しばしば人の思惑とはことなる。


神に従うとは、みことばに生きること。

みことばに生きることは簡単ではない。


与えられたみことばを、信じて疑わずそれにしたがっていく。

色々な不安、不信仰が心によぎる。


その中で、神の言葉を選び取り、したがっていくことは、自分に死ぬこと。

十字架を負う歩みではないか。


当然、戦いも多く、困難な道だ。

しかし、不思議と主の平安と喜びに溢れている。


Jer. 29:11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている

──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、

あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。


バビロンに捕え移されることは、神の計画であった。

「計画をよく知っている」全てのことは、神がご存じなのだ。


70年とは長い年月、帰還できない者もいただろう。

母国を知らない、バビロン生まれバビロン育ちの者もいたのだ。


ただ、安直に、将来の希望が与えられているから大丈夫!というものではないのだ。

以下のみ言葉の通りに、バビロニア帝国の中で、神を求め、第一として、

熱心に神ととに生きることが言われている。



試練苦しみに動揺しない。

神は全てのことを知っている


神の計画と言ってもただ、すべてが宿命で決まりきった道を歩んでいるのではない。


実際、神は考えを変えられることがある。

二ネべはよい例である。


滅びを宣告されていたが、預言者ヨナのことばにより、悔い改め、滅ぼされなかった


自由意志の中で神とともに選択する、歩みが与えられている。

と同時に、神の大きなご計画のなかで 生かされていることも事実なのである。


捕囚の身になったことを考えると、絶望の中語られた言葉。

即座に試練から解放されるものではない。


これからどうなるのか先行きが全くわからない中で語られたのだ。

しかし、最悪と思われる試練でさえも、脱出の道、祝福の道が用意されている。


エレミヤ29:4 イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。

「エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。

5 家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。

6 妻をめとって、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻をめとり、

娘には夫を与えて、息子、娘を産ませ、そこでふえよ。減ってはならない。

7 わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、

そのために【主】に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」


住みつきなさい。長くなる。平安が与えられる。約束。

神は、バビロンを倒されるが、繁栄を祈りなさい。


試練の終わりの時は来るが、信仰をもって健全に歩みなさい。

慎み深くしている。しかし、世と密着はするな。

世に同調しないことが大切。


常に希望を持つことができる。

どんな状況においてもだ。

たとえ期待が外れても、絶望を通されても、希望を持つことができる。

シャデラク・メシャク・アベデネゴ


火の中から救い出したのは神、

私たちを救い出すのは神である


なぜなら、

神を一心に慕い求めるなら、神がともにおられ、導き祝福し、救うからだ。

場所、年齢、経験、状況、状態は関係がない。


神の民として、異教のバビロンで、神とともに生きなさい。

日本に生きる私たちも同じ。


神のみこころと反する世界のなかで、執り成しいのり、神とともに生きる


. 29:12 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、

わたしはあなたがたに耳を傾ける。

. 29:13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、

わたしを見つける


将来への希望の言葉は、条件付きの約束がある。

祈りなさい。熱心に神をもとめよ。

という条件がある。



わたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、ー耳を傾ける

わたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、ーわたしを見つける


捕囚の身ではあったが、神に立ち返ることは、転機となる。

試練に会うなら、このことを覚えておかなければならない。

祝福のスタートであることを。



それは私たちの弱さや課題であり、神の偉大さをいっさい弱めることはない。


偽のことばに惑わされるな 目の前の良い事柄で安堵しない

 期待が外れても、み言葉の核心をもとう


現状より、みことば、神の約束にたつ



こころを尽くして、一心に、主を求める。

神によってのみ、神の民は救われるのです。

そのことを、覚えて歩みましょう。

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