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私と私の家とは、主に仕える

jos1:1 さて、主のしもべモーセが死んで後、 主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。 jos1:2 「わたしのしもべモーセは死んだ。 今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、 わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。 jos1:3 あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、 わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。 jos1:4 あなたがたの領土は、この荒野とあのレバノンから、 大河ユーフラテス、ヘテ人の全土および日の入るほうの大海に至るまでである。 jos1:5 あなたの一生の間、 だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。 わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。 わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。 jos1:6 強くあれ。雄々しくあれ。 わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、 あなたは、この民に継がせなければならないからだ。 jos1:7 ただ強く、雄々しくあって、 わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行なえ。 これを離れて右にも左にもそれてはならない。 それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである jos1:8 この律法の書を、あなたの口から離さず、 昼も夜もそれを口ずさまなければならない。 そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。 そうすれば、あなたのすることで繁栄し、 また栄えることができるからである。

結論:次世代育成を育てるために必要なことは、自らが祈りみことばに歩む

私たちが自身が主に信頼すると決めていきる。

💫私たちの信仰は試されることがあります。 信じ続けることが困難な時もあり、先行きが見えない不安や恐れに囚われることもあります。 神を信頼すると、決めなければ、私たちの心に、平安が与えられることはないでしょう。

私たちは、「絶え間なく、おそれ、いらだち、いかる」ような事柄に囲まれているのではないでしょうか。

時として神を信じることの理由もわからなくなる事があるかもしれません。

しかし、私たちは主を信じると決めた者として、主が最善をなしてくださることを信じ続けるものでありたいのです。

💫信仰は信じるか、信じないかのシンプルなものといえます。

ペテロはキリストの言葉を信じ、水の上をあるきました。 彼は、主がお許しになれば、荒れた湖の上を歩けると信じたからです。

しかし、彼は数歩、歩きましたが、風と波を見て、心に恐れが入り、沈みそうになりました。

また、病を患った数々の人々は信仰によって癒されました、 使徒たちが、「癒される信仰があるのを見て」癒され、 キリストは「あなたの信じた通りになるように」と言って癒される、

私たちは、疑うことなく信仰に堅く立ちたいと思います。

⭐️たとえ小さな信仰であっても充分、 偉大な神が、その信仰を用いてみ技を行います、

ヘブル11:6「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません」 とあるように私たちの信仰を神は喜んでくださいます、

しかし、ヘブル11:6「神を求める者には」 大きな祝福の用意があることを覚えたいと思います。

⭐️本当に大切なことは「神に信頼し、愛し、主を喜ぶ」ことです。

神はヨシュアを導き大きなことを成し遂げさせたように、

⭐️私たちが行く所どこにでも、 ともにいてくださるからです、

💫ヨシュアは若い頃からのモーセの従者であり、 モーセの姿をみて様々なことを学んだといえますが、 何か特別な能力がヨシュアにあったわけではありません。

💫しかし、ヨシュアには主は必ず助け、勝利を与えてくださる、確信があったと言えます。

⭐️彼は主に信頼すると決めていたといえます。

ヨシュアが導く民の数は民数記1:46を見ると・ 20歳以上の男子、六十万三千五百五十人、 全体数は約200万人ほど、だったと言われています。

💫そして、その民は非常に頑固で、神に逆らう民でした。

水が飲みたい、肉が食べたい、敵が強い、など文句が多く、 時として指導者さえも殺そうとしました。

exd17:4 そこでモーセは主に叫んで言った。 「私はこの民をどうすればよいのでしょう。 もう少しで私を石で打ち殺そうとしています。)

モーセにさえ従わなかった民です、 彼らを導くことは非常に困難であることを ヨシュアも知っていたことでしょう。

⭐️しかし、主は不思議なことを言われます。 jos1:3 あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、 わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。

モーセとの約束うちに決まっているので、 もう与えている、と語られています。 約束は完了しているのてす。

💫実際、彼がリーダーになってから 彼は民を導きながら、 約束の地を攻略しなければなりませんでしたが、

ヨシュアが約束の地を占領していない段階で、 主が約束の地を与えていると言うのです。

💫神のことばは不思議です。 神のことばには権威があるので、 語られたことは既に成っているのです。

私たちは信仰を持って神のことばが成っている、 完了していることを信じるものでありたいと思います。

とは言われてみても、 イスラエルを導くリーダーとなったヨシュアにとっては、 大きなチャレンジだったと言えます。

⭐️約束の地の攻略は、 私たちの信仰生活と似ています。 主に信頼し続けると言う戦いがあるのです。

💫私たちは生きていく中で、 予測できないことが起こり、 乗り越えなければならない困難がありますが、 その都度、私たちは信仰に立ち続ける必要があるのです。

💫3節の「足の裏で踏む所はことごとく与えている」 という言葉の意味は、 私たちに、しっかりと信仰を持って進んで行きなさい

そうすればあなたのするべきことを私がなしどけよう、 と語っていると言えます。

⭐️そして、主とともに困難を乗り越えて行く時に、 私たちの魂が聖霊によって攻略され、 心に平安が増し、 心の内の神のご支配が完全になっていくのです。

💫ヨシュアに与えられたような試練、困難、 戦いはそれだけで終わらず、

私たちを神に近づけ、 整え、神に満たされることにつながります。

⭐️私たちは試練の時に信仰にさらに立つものでありたいのです、 このような時こそ、主を褒め称える必要があります。

💫いつも同じことばかりしていては成長がありません。 ヨシュアのように「主に頼ること以外に手立てがない」 と言う状況に置かれることが私たちに必要なのです。

⭐️結論は決まっているのです。 例えどのようなことがあったとしても、 あなたとともにいるから安心しなさいと語られているます。

jos1:5 あなたの一生の間、 だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。 わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。 わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。

録画ビデオ:日本対ブラジル戦 日本が勝ったとします。

⭐️そして、神がヨシュアに命じられたことは、 律法を守り行うことでした。

jos1:7 ただ強く、雄々しくあって、 わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行なえ。 これを離れて右にも左にもそれてはならない。

💫驚きの命令

💫ヨシュアは具体的なカナン攻略の指示が、 欲しかったのではないでしょうか、

しかし、神はカナンの攻略を命じたり、 攻略法をここで語るのではなく、

⭐️本当に第一にすべきことを守り行いなさいと語っているのです。

💫私たちにも、様々な重荷があるのではないでしょうか、 将来、健康、進路、家族、子供、 しかし、主は、あらゆる心配事に捉われることなく、

それらのことは私が導き達成させるので、

⭐️あなたはみ言葉に従いなさいと言われていることと同じと言えます。

💫与えられたみことばを大切にする。

⭐️み言葉は確かなもの、 この世界には確かなものがない、 人間が作り出すもので、 確かに頼れるものはない、

⭐️もし、み言葉に従わないならば、 私たちは例え偉大な信仰をもち、 熱心な祈りの生活を送り、 多くのこと成し遂げていたとしても、

それは神から与えられた、 💫信仰生活ではなく願望で生きていると同じなのです、

み言葉は神からのものであり、 願望は肉からのものであって、

いくら「主のために」と言っていたとしても、 根ざすところは罪なのです

私たちは信仰と願望を、 み言葉によりしっかりと分けておく必要があります、

mat6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。 そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 mat6:34 だから、あすのための心配は無用です。 あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

⭐️それだけではなく、 必要なものに加えて全てが与えられえるという。 これは不思議なことです、 これは「神に近づき、求める者には報いてくださる」 という言葉の表れだと感じます、

それは私たちが神の恵みのうちに生きていることをわからせるためである、と言えるでしょう。出エジプト記、恵みの

jos1:8 この律法の書を、あなたの口から離さず、 昼も夜もそれを口ずさまなければならない。 そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。 そうすれば、あなたのすることで繁栄し、 また栄えることができるからである。

⭐️みことばに信頼と確信を、 置き続けることが非常に大切なことと言えます。

私たちは与えられたみ言葉に対してどのように行動しているでしょうか、 信仰に立って、み言葉に歩んでいるでしょうか、

もし、私たちがみ言葉に従わないならば、

⭐️次第に他のものに囚われ始めます、

それは、神に囚われていないことなので、 非常に危険なのです、

「恐れるな、」と語られたならば、 恐れる必要はありません、

もし私たちが、恐れ続けるならば、 私たちは恐れに囚われてしまいます、

ここに信仰の戦いがあります、

⭐️私たちは、信じて、主に囚われる必要があるのです、

与えられた、み言葉を覚え、信頼するもにでありたい、

💫ヨシュアが指導者になる前に受けた経験を 信仰の訓練を見て行きたい。 主とともにいきる信仰者にとって必要なポイントがあります。

1.祈りの力を知っている人であった、 信仰の戦いの中で祈りによって勝利を与えられたことを知っている。

exd17:9 モーセはヨシュアに言った。 「私たちのために幾人かを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。 あす私は神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。《 exd17:10 ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、 アマレクと戦った。モーセとアロンとフルは丘の頂に登った。 exd17:11 モーセが手を上げているときは、 イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、 アマレクが優勢になった。 exd17:12 しかし、モーセの手が重くなった。 彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いたので、 モーセはその上に腰掛けた。アロンとフルは、ひとりはこちら側、 ひとりはあちら側から、モーセの手をささえた。 それで彼の手は日が沈むまで、しっかりそのままであった。

⭐️祈りのうちに神が働いてくださることを知っていた、 「私たちが働く時、私たちが働くが、私たちが祈る時に神が働かれる」 信仰を持っている私たちは祈りの力を彼のように知るべきである、 私たちは知識が多ければ神に用いられると思いがちだが、 勝利は信仰の祈りによって与えられる

2.他者を尊敬する訓練を受けている num11:25 すると主は雲の中にあって降りて来られ、 モーセと語り、彼の上にある霊を取って、その七十人の長老にも与えた。 その霊が彼らの上にとどまったとき、彼らは恍惚状態で預言した。 しかし、それを重ねることはなかった。 num11:26 そのとき、ふたりの者が宿営に残っていた。 ひとりの吊はエルダデ、もうひとりの吊はメダデであった。 彼らの上にも霊がとどまった。――彼らは長老として登録された者たちであったが、天幕へは出て行かなかった。――彼らは宿営の中で恍惚状態で預言した。 num11:28 若いときからモーセの従者であったヌンの子ヨシュアも答えて言った。「わが主、モーセよ。彼らをやめさせてください。《 num11:29 しかしモーセは彼に言った。「あなたは私のためを思ってねたみを起こしているのか。主の民がみな、預言者となればよいのに。主が彼らの上にご自分の霊を与えられるとよいのに。《

⭐️自分よりも神に用いられる相手を認める訓練を受けている、 自分よりも能力が高い人、 自分と意見が違う人、 自分よりも用いられていると思える人、

を認め、尊敬する必要があります

⭐️他人を尊敬できないものは、傲慢になります、 嫉妬するか、 相手の足を引っ張るか、張り合いつづけるか、 コンプレックスを持って落ち込むか、マイナス面が多いと言えます。

他人を尊敬し、尊重し、輝かせることが、信仰生活に必要です。 私たちも、ヨシュアのように整えらるならば、より、祝福された人間関係を持つことができるだろう、

3.勇敢な信仰を持っていた、カナンの地をさぐるというよりは信仰に生きていた、

⭐️神を信頼すると決めていた、 num13:30 そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。num13:31 しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。《 num13:32 彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。 num13:33 そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。

ヨシュアとカレブの意見 num14:8 もし、私たちが主の御心にかなえば、 私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。 あの地には、乳と蜜とが流れている。 num14:9 ただ、主にそむいてはならない。 その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。 しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。

💫彼らは見ている視点、 考えているポイントが違った、民は、できる力があるかないか、考え、ヨシュアとカレブは、自分たちに可能かどうかではなく、

⭐️主の御心にかなえばできる、 神が望まれているので行う、 と言うものでした、 💫実際にカナンの人々は城壁を持ち、強く、 巨人族のネフィリム人、アナク人が住んでいた。 (アナク人とレファイムは似ている、 ゴリアテはレファイムの末裔と言われている、 deu2:20 ――そこもまたレファイムの国とみなされている。以前は、レファイムがそこに住んでいた。アモン人は、彼らをザムズミム人と呼んでいた。 deu2:21 これは強大な民であって数も多く、アナク人のように背も高かった。主がこれを根絶やしにされたので、アモン人がこれを追い払い、彼らに代わって住んでいた。)

2sam21:16 それで、ラファの子孫のひとりであったイシュビ・ベノブは、ダビデを殺そうと考えた。彼の槍の重さは青銅で三百シェケル。そして彼は新しい剣を帯びていた。 2sam21:17 しかし、ツェルヤの子アビシャイはダビデを助け、このペリシテ人を打ち殺した。そのとき、ダビデの部下たちは彼に誓って言った。「あなたは、もうこれから、われわれといっしょに、戦いに出ないでください。あなたがイスラエルのともしびを消さないために。《 2sam21:18 その後、ゴブでまたペリシテ人との戦いがあり、そのとき、フシャ人シベカイは、ラファの子孫のサフを打ち殺した。 2sam21:19 ゴブでまたペリシテ人との戦いがあったとき、ベツレヘム人ヤイルの子エルハナンは、ガテ人ゴリヤテの兄弟ラフミを打ち殺した。ラフミの槍の柄は、機織りの巻き棒のようであった。 2sam21:20 さらにガテで戦いがあったとき、そこに、手の指、足の指が六本ずつで、合計二十四本指の闘士がいた。彼もまた、ラファの子孫であった。

勝てるかどうかはやって見ないとわからないし、 自分も戦死する可能性さえありました、

御心にかなう、信頼して従う生き方、 「恐れてはならない」 ⭐️自分で勝てる力があるかかどうかを考えるのではなく、 主が、み言葉を与えてくださったので、 私たちも信仰を持って応答すべきである! と主張している、 💫晩年ヨシュアはこう語る、 jos24:14 今、あなたがたは主を恐れ、 誠実と真実をもって主に仕えなさい。 あなたがたの先祖たちが川の向こう、 およびエジプトで仕えた神々を除き去り、主に仕えなさい。 jos24:15★もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、 今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、 あなたがたが仕えようと思うものを、 どれでも、きょう選ぶがよい。 私と私の家とは、主に仕える。

誠実と真実を持って主に仕えなさい。とヨシュアは語っているが、 ⭐️それは主、ご自身が、ヨシュアに誠実と真実を持って仕えてくださったからである、

💫私たちは神に仕える存在だが、 神もまた私たちを支え仕えてくださる方なのである、 私たちが誠実と真実を持って、 主とともに生きる時に、 私たちは主の誠実さをさらに見るだろう、

jos1:9★ わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。 あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。

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