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『教会生活』

『教会生活』 エペソ3:14-21 1:エペソ人への手紙/ 03章 14節 こういうわけで、わたしはひざをかがめて、 03章 15節 天上にあり地上にあって「父」と呼ばれているあらゆるものの源なる父に祈る。 03章 16節 どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、 03章 17節 また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、 03章 18節 すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、 03章 19節 また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。 03章 20節 どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、 03章 21節 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。

キリスト教会はイエスキリストを信じる者たちの集いを意味するものであります。 聖書には神の召しと導きを受け、使命を与えられて歩む「神の民」について語られている「聖なる書物」です。私達はこの「聖なる書物」の教えを信じ、守る「信徒」であり、またイエス様の体である教会に属する信徒のことです。 神様を信じる信仰生活は、即ち、教会生活である。

教会とは神に召された信徒の集団(ギリシャ語エクレシアという)であって、ここに神は臨在し、日々信者を悔い改めさせ、信仰に奮い立たせ、そして、伝道と奉仕へと召して行く場です。又、教会はまた神の啓示の具体的な場であって、信徒はここで基督に出会うところです。聖書によると「教会」の頭は基督であり.(エペソ5:23)信徒は他の部分なのである。(コリント第一12:27)信徒は個々の教会において、主に伝え、信仰のまじわりを通して、同じ主のエクレシアに属するものです。

一、祈り (エペソ3:14-21) これはパウロの祈り。クリスチャンとして生きるための原動力に関するものである。 パウロがこの手紙を執筆されたのは、ローマの獄中に勾留されていたにもかかわらず、深い祈りを持って、エペソの教会の為にこの手紙を書き記し、神様に信徒のためにとりなしの祈りを捧げたのです。

私達はこうして、神様の恵みのうちに守られているのも、多くの人々の執り成しの祈りがあってこそ得られたです。この事を覚えて、私たちも他人のために、感謝の祈りをささげなければなりません。

私達の生活の力の源はもちろん神様からです。ペソ3:15 御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。 イエス様は弟子たちに祈りを教えられたとき「天にいます私たちの父」に祈るように示された。(マタイによる福音書6:9) 二、愛し合いなさい [人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。」(ペソ3:19) キリストの愛は広く、深いのです。私たちは基督の愛に如何に答えるのか。それは、神様の恵みに満たされた基督者として成長するのである。教会の生活には於いて、イエス様が愛されたように愛しあうのです。(ヨハネによる福音書13:34-35)エペソの信徒たちは異邦人のために一緒に教会の成長に参与し、熱心に祈りをささげたのです。 ヨハネによる福音書/ 13章 34節 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 13章 35節 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」 三、神様の御言葉 聖書は神様の御言葉です。信仰生活の些細且つ具体的に示している。代々の教会の信徒は聖書を基準として、教会の生活を過ごしてきました。 又、教会員は基督のみ言葉を守るだけでなく、それを宣べ伝えなければなりません。 つまり、イエス様の救いの福音を広め、世界教化の使命を果たさなければなりません。 その出発点に、礼拝を堅くに守らなければなりません。 教会生活は、礼拝と聖礼典―洗礼と聖餐式があります。他に各団契の集会や聖書研究会などが織り込んでいます。教会員は互いに交わり、愛し合い、睦しく信仰を分つのです。 四、神様を褒めたたえ エペソ3:20 「どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。」 パウロは末尾に、何時ものように神様をほめたたえている。自分の栄光ではなく、神様に栄光を帰していることです。最後に「アーメン」は まさにその通りです。 そこに謙遜な姿勢が見えます、これはクリスチャン生活の学ぶべき姿勢です。 最後のまとめとして 変動する現代社会の中で教会は信徒の信仰生活の学ぶ道場です。どうか、私たちは真剣に頑張って、神様の御言葉に忠実に仕えることを心掛けたいと思います。 イエス様のみ言葉のように「あなた方も愛しなさい」と。教会は信仰を学ぶ場であり、実践する場でもあります。信仰の交わりをしながら、霊的な生活も進んで行きましょう。 そして、自分自身の生活の中に小さな一つの業も、主にあっては無駄にならないことをしんじたい。(コリント第一15:58)

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