家庭と仕事の信仰生活
『家庭と仕事の信仰生活』 宣召:詩篇124:8 聖經:出エジプト記20:12 詩編127:1-2 讃美歌21:13、493,29 讃美歌21の啟應文:詩編8 2020/08/09 郭 寬城 牧師 一、前言 私たち今日ここに集まり礼拝を共にできることを神様に感謝します。 神様を礼拝することは神様の前にひれ伏し、神を拝むということ 信仰とは一言いえば私たちがここで神様と関わり、交わり事です。 世界を造りなり、そしてイスラエルを選び、主イエスをこの地上にお遣わしになった神が新しく主イエスを救い主と信じる者の群れを導いておられるのです。この救いの歴史の中に私たちが今生かされています。 1、イエス基督との出会い 私たちは教会にて聖書によるイエス基督を知り;教会での働きを通してこの基督に出会う事ができます(ヨハネ1:14以下) 2、私と他人との関係 共に礼拝する群れとして、兄弟姉妹一緒に祈り、讃美、聖書を読み、分かち合い、共同信仰生活になります。 1:エフェソの信徒への手紙/ 04章 16節 「キリストによって、体全体は、支えとなるすべての節々でつなぎ合わされ、一つに結び合わされて、それぞれの部分は分に応じて働き、体を成長させ、愛の内に造り上げられてゆくのです。」 3すなわち私たちは神様のみことばを学ぶ短い時間けれとも 信仰生活を吟味して自分の家庭と仕事の現場にて実践できるのです。 二、聖書による教え 1.家庭、仕事 家族の形成、町の警護、仕事の生活すべての局面において神様の臨在が必要です。 1:詩編/ 127編 001節 都に上る歌。ソロモンの詩。/もし、主が家を建てるのでなければ/それを建てる人々は空しく労苦することになる。/もし、主が町を守るのでなければ/守る人は空しく見張ることになる。 家庭、家族、主がともにいれば、喜びのある家庭は築かれる、また町を守ろうとする 生活すべての必要を備える、家畜の群れも、農作物も成長させてくださる(イザヤ書27:3) 2.家(出エジプト記20:12) 第1‐5戒は神に対する人間の義務。第6-10戒は人間と人間に対する義務について書かれている。第5戒は両者の架け橋であると言います。 子供と親の関係。まずは從順 それから尊敬することを話します。 ①從順 ということから考えてみましょう 人間は最初生まれたばかりの赤ちゃんの如し、何もできません、親が責任を持ち、子供に必要なのは親に従うことです。 ②尊敬 親を尊敬することについて考え見ましょう 神の代理人の立場にあり、あらゆる犠牲を払って我々を育ててくれた 親は当然 尊敬に値する存在である イエスは両親を從う良き模範です(ルカ2:51) 両親を從う者には、神から伴うそれは長生きをすることである (エペソ6:1-3に参考ください) 三、信仰の力 「神様は何もしないでただ見ておられるのではありません、人間と共に苦しんでおられるのです。」と マザーテレサ 言います。神様の力は不思議です 信仰の力は大きい人間のこころうちをはじめ家庭、仕事と社会にも広げる。一つ例を上げましょう。 野口英世 先生は福島県にある小さな町に生まれた 子供時手が火傷のせいで不自由になった。つらいこともあった。信仰があるキリスト教の家庭に育ってきた。イエス基督と出会い、 自分も人間の苦しみ解決を決意しました。この信仰の力によって野口は勉強になりお医者さんなった。 海外で高く評価された、アフリカで高熱病研究を行った。日本を代表する細菌学者である。彼が書いた「忍耐」という文字で意味が深い、彼の人生が今も大勢の人々に感動させた。 四、 結語 神様の恵みによって私たちが生きている、また信仰生活の分かち合いもできます。 この時期単に一時的なものではなく一生涯で継続的に信じ続ける。神の恵みのゆえにあたえられ、守られるものなのである。 信じるということは聖書な中でいろいろな比喩をもって表されている 見る(ヘブ12:2)来る(黙示録22:17)受け入れる(ヨハネ1:12)飲む(ヨハネ4:14)食べる(ヨハネ6:48-58)着る(ローマ13:14)など例がある 信じるということが単なる期待などではなく、具体的決断であることを示している。 「 私たちは愛するため、そして愛されるために生まれきたのです」。 マザーテレサ 弱い人間は愛されるために生まれた。神様の力によって私たちが恐れません。 信仰生活の中に神様のみ言葉をよく見て、食べて吟味することで。受け入れるように。 どうか、私たち神の家で――教会にてクリスチャンの交わり、キリストの体お互いに真理を追求して、分かち合いしましょう。 祈禱: 敬愛する神様 今日、皆様と一緒に集まり賛美、礼拝することを感謝します。聖書を通してかみさまの愛は私たちの家庭と仕事の現場にてそばにいるとわかります、どうか、あなたをもっと信じるようにお助けください 感謝し、主イエスキリストの御名によって祈り捧げます。アーメン