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神が賜る平安


宣召:詩篇100:1-2

題目:『神が賜る平安』

經文:希伯來11:1; 耶利米29:1-14

讚美歌:522,529,91

啟應:詩篇130

2023/03/12

一、前言

兄弟姐妹平安がありあすように!

今日、一緒に礼拝すること神様に感謝します。

1.神様は私たちに平和を与えることです。人生の中に時々私たちの世界は地震、津波、火事といった力にって

揺れすられます。

神様が困っている人たちを看捨てることあないとを確信し、また希望を持つことが出来るのです。

今日旧約聖書エレミヤ書に予言者のことばによて神様がイスラエル民に神様の救いと解放を約束しています。

エレミヤ書29章にパピロンの捕囚地で絶望になっている同胞い手紙が書き送った手紙があった。70年という時、回復があり、約束の地(カナン地)へ帰返ること。

神様がヤッパリ神御自分の民を愛しておられる神である。

「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」(エレミヤ29:11節)

エレミヤは神様を信頼し、従い、神が言われた通りに応え、神が言われたこと、また賜る平安が民に伝えました。

上帝賞賜平安が必ず来るといいました。

これはイスラエル民に対して大きな幸せです。


二、イエス様与えた平安

「その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈を聞く。」(エレミヤ29:12)

「あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、」(29:13)

「わたしはあなたがたに会うと主は言われる。」(29:14)

預言者エレミヤはイスラエル民に大切ことを言った。

神様を一心に尋ね求めて、神様に会うことこの大切さを民に言った。歴史見えば、彼らは故郷に帰り、本当に神様に感謝します。

今日の聖書の箇所に私たちへの語りかけでもあります

私たちも罪のせいで捕囚されて苦しみの中で生活しております

しかし神様から救いが約束された。それはイエス様です

イエス様が十字架の上で贖罪死が私たちの罪の赦しのためであったこと、私たちは平安くれました。

パウロが言った

「このように、わたしたちは、信仰しんこうによって義ぎとされたのだから、わたしたちの主しゅイエス・キリストにより、神かみに対たいして平和へいわを得えている」。(ローマ書5:1)

新約の中にイエス様んの足跡が記載されているところがたくさんあります。

イエス様与えた平安は罪を犯した道を失った者が再び神と和解させられることにも基づくたましいの平安である。

このイエス様の平安は現在に住む私たちに対して大きな福音です。

三、シャーロームからエイレーネーへ

シャーロームは古来イスラエル人とて日常の挨拶の言葉であったが 使徒たちはそのギリシア語(エイレーネー)の意味を一層深めて、神様が教会に賜る平安を祈願する言葉とした。(Ⅰコリ1:3)Ⅱヨハ3 など。

神様の恵みと憐憫と平安も含めた意味です。

人生の生活の中に、悲劇の真ん中での私たちの苦境を思い出すために誰かが必要です。私たちは見捨てられてはおらず、神様は私たちの支えとなっておられるということを確信したいです。

エレミヤ預言者は神様を信じる。だから神様の平安が同胞に言いました。

同じく預言者のイザイヤはこうも言いました

「堅固な思いを、あなたは平和に守られる

あなたに信頼するゆえに、平和に。」(イザヤ書26:3)

神様を信頼された者は平安があるという言葉もありました。

四、神様を尋ね求め

イエス様が私たちに命を与えられた救い主です。

彼は十字架の上で殺されたけれども三日間後甦られた。

この力によって私たちもリセットすることもできます。例え、苦しい時、イエス様に祈り、この神頼みが出来ます。

私たちが限界があり、自分をできない部分をよみがえる。これは信仰の力で不思議なものです。

聖書のエレミヤ預言者は言いました

「あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、

わたしはあなたがたに会うと主は言われる。」(エレミヤ29:13-14a)

神様の平安が私たちに与えられた。

ヘブライ書11:1にこう言いました

「信仰とは待ち望んでいるものに対し、必ずそれを得ると確信して疑わないことです。」

毎日忙しい私たちもできることは祈り、聖書を読んで、神様を尋ね求めて神様に会うこともできます。

五、まとめ

ある人は「私たちの人生が荒野の中で生きている」と言いました。

イスラエル民は荒野の中で40年間生活しました。ある時は神様に離れていったんでした、ある時も後悔しまった神様を尋ね求めている。

私たちもこういう経験があった。

ある時私たちが霧の中のように何も見えません、苦しい処も一杯。

ある時は水のあるところに来て喜びと安心感が感じます。

「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」

(エレミヤ29:11)

「上帝が賜る平安」というプロミスは預言者が言いました。イエス様によって私たちに与えた。「一心にわたしを尋ね求めるならば、 わたしはあなたがたに会うと主は言われる」と、本当にイエス様を讃美しています。

願わくは神の平安がとこしえに皆様の上にありますように


祈禱:

敬愛する神様。

あなたの愛と平安をいただき、誠にありがとうございました。どうか私たちの人生の中にいつも見守って下しますように。

感謝し 主イエス様のみ名によって祈り奉げます

アーメン




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