計り知れない神の力

使徒1:1-8 ペンテコステの出来事:聖霊降臨の不思議 Acts 1:3 イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠を もって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十 日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。 Acts 1:4 使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じ られた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束 を待ちなさい。 Acts 1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがた は間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」 Acts 1:6 そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋 ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるの は、この時なのですか。」 Acts 1:7 イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とか いうことは、あなたがたの知るところではありません。それ は、父がご自分の権威をもって定めておられることです。 Acts 1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたが たは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全 土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」 復活されたキリストは弟子たちにこのように語られました。 使徒1:4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じ られた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束 を待ちなさい。act1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、 もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからで す。」 この言葉を語られた後、キリストは天に昇られました。復活 し天に昇る前に2つの命令を弟子たちに語っている。1つは大 宣教命令と、聖霊のバプテスマです。聖霊に満たされるとはキリ ストからの命令であることがわかります。 キリストが天に昇られた後、弟子たちは師を失いました。今 後どのようにして信仰を持っていったら良いかわからず不安の 中にいたかもしれません。そんな中、約束の聖霊が注がれると いう驚くべきことが起きたのです ・以前は特別な人にしか聖霊が与えられなかった全ての人に 聖霊が注がれた記念ずべき日 Acts 2:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。 Acts 2:2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響き が起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。 Acts 2:3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上 にとどまった。 Acts 2:4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、 他国のいろいろなことばで話し始めた。 風のようで風ではなく、炎のようで火ではないしたが現れまし た。この出来事に人々は驚きました。人間の理解では説明しき れない状況と言えます。聖霊の働きは時として人間の理解を超え る側面があるということです。  ペンテコステの日に聖霊がキリストを信じる全ての人々の上 に注がれました。聖霊が私たちのうちに注がれ、神ご自身が私 たちのうちに住わってくださいました。聖霊は神ご自身なので す。「三位一体コリント12:4-6」これは大きな祝福なのです。 聖霊の宮となった私たち。「コリント1:6」そして測り知れない 神の力が私たちに与えられた。 第二コリント4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れてい るのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私 たちから出たものでないことが明らかにされるためです  神の力は計り知れません。ヨハネ14:12には「私の行う技を行 い、またそれよりもさらに大きな技を行います」とあります。私 たち一人一人がそれほどの力を与えられたのです。 例:十字架前と聖霊を受けた弟子たちの行動が大きく変わって いる。イエスを三度知らないと言ったペテロが大胆に福音を 語っている。ペテロとヨハネの大胆な行動に人々が驚いてい る。 憲法や法律、学校教育の中にもキリスト教は大きな影響を与え ている ・なぜこのような力が与えられるのか。 1つは助け主が与えられたということと、ヨハネ14:16もう1つ の側面はキリストを証するということです。 ヨハネ16:14自分が好きなように生きるために神の力を使うので はありません。ですので、助け主とは私たちが、みこころを語 り、主を証し、神の望むように生きることを助けてくださるの です。 私たちはただ聖霊に満たされる必要があります。興味深い聖書箇 所があります。 act8:16彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていた だけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。 ここは不思議な箇所ですが、自分に確信がないからと言って、 聖霊がおられないわけではありません。 聖霊の働きの原則を見る 1cor12:3 ですから、私は、あなたがたに次のことを教えてお きます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれ よ。《と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエ スは主です。《と言うことはできません。 もし、私たちがキリストを主と信じるならば、聖霊の働きがあ るのです。では、なぜこのような状態があるのかというと、聖霊 の満たしには個人差があるということです。 8:16バプテスマを受けた彼らは、キリストを主としていたの で、聖霊が無かったとは言えませんが、溢れ出るほどまでに満た されていなかったと言えるでしょう。 種火のように例えられるかもしれない、聖霊の炎の度合いは、 同じ神を信じていても差があると言えます。例えばパウロのよう な聖霊に満たされた信仰者もいれば、アナニヤとサッピラのよ うな嘘をついてしまうような信仰者もいるのです。 聖霊を与えられた目的は、聖霊に満たされて私たちがキリスト を証しすることです。 2Tim. 4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても しっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えなが ら、責め、戒め、また勧めなさい。 と聖書は言っています。伝道は急務です。この世代に伝道できる のは、この時代に生きる私たちだけなのです。目の前の現状を見 て自分には無理だと思ってしまうかもしれませんが、神様の前 に自分自身をお捧げし用いていただきましょう。 5つのパン2匹の魚、5000人の群衆 天を仰いで感謝を捧げまし た。私たちも自分の存在を神様にお渡しする時に、主は小さな 私たちを、祝福し、満たし、用いてくださいます。証をすること はハードルの高いものではありません。 Acts 1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなた がたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの 全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」とある ように私たちは主を証すればいいのです。 聖書の専門的なことを語るのではありません。主とともに生 きていることを伝えるのです。「イエス様はあなたを愛してい る」と一言いう事も伝道ですし、「日曜日は教会に行っていま す」という事も伝道でしょう。主と共に歩む日常が証になるの です。 もっと自分より話すのが得意な人が伝道すればいいだろう、 牧師先生が、宣教団体のスタッフが福音を伝えれば良いだろ う、とだれかにまかせることでもありません。 船に乗っていた時は次にリバイバルが起こるのは日本だと聞い た事がります。その後10年たちましたがそのようなリバイバル は見ていません。 最近では日本は宣教師の墓場と言われている事を聞きました。 日本に宣教師を送るならアフリカの方が多くの実を見る事が出 来るそうです。 しかし、「主にあって感謝します。」このような難しい土地に置 かれている私たちに、神様が力を与えて下さらないわけがあり ません。 大胆に神様の御力を求める者でありたいと思います。 みなさんペンテコステの日のように神様の力を受ける準備はで きていますか?伝道する私たちの事を神様は注目してください ます。  パウロはこのように言っています。 『第一コリント2:4~5節 私の宣教とは、説得力のある知恵 の言葉によって行われたものではなく、御霊と御力の現われで した。それは、あなた方の持つ信仰が、人間の知恵によって支 えられず、神の力に支えられるためでした。』 パウロの宣教は御霊と御力の現れであったと言っています。 パウロの伝道は神に支えられることによって行われたと言いま す。パウロは私たちの限界を超えた、計り知れない神に力に支え られたのです。私たちもパウロのように聖霊に満たされ、神に 支えられたいと思います。 パウロの言っているように御霊と御力の現れが見ることはなか なか難しいですが、それはなぜでしょうか。それは、努力がた りない、がんばっていない、信仰が足りないからではなく、私た ちが主に頼ることを忘れてしまう事が原因なのです。 (使徒1:14 彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、 およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈を していた。 1:15 そのころ、百二十名ばかりの人々が、一団とな って集まっていたが、)「みな心をあわせ、祈りに専念してい た。」 私たちは熱心に一致して祈る事が必要です。私は耐えす祈ってい ますが、熱心さにおいては欠けている場合があります。 祈りは簡単には答えられないかもしれません。なぜならここは 日本であって宣教師の墓場と言われる難しい場所なのです。私た ちは一丸となって粘って祈り続けるものでありたいと思います。 御霊と御力の現われを期待したいと思い 熱心に祈っていたこととして そして、婦人たちの祈っていた祈祷課題は、父の約束でした。 使徒1:4 そして食事を共にしているとき、彼らにお命じになっ た、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いてい父 の約束を待っているがよい。 と言われました。これは聖霊がく だるという約束です。 ほ(第一コリント15:6 そののち、五百人以上の兄弟たちに、 同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、 大多数はいまなお生存している。) イエス様は復活してから後500名の人々の前に同時に現れまし た。この人々にも約束の聖霊が与えられる事をイエス様は語っ たと思います。 しかし、(使徒 1:15)を見ると、120名しか心を合わせ て祈っていないのです。残りの380名が消えています。何らかの 事情があり、いなかったのかもしれません。また、聖霊を受け る前に伝道に行ってしまったのかも知れませんが、私達は主を 待ち望んだ120名のグループに入りたいと思います。 Acts 1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたが たは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全 土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」 ・力を与えられる大切さ 恵みによって救われるだけではなくークリスチャンのほとんど が信仰によって恵みによって救われることを認識しているが、 力をも与えられることについては理解が浅い 私達は主を待ち望み、更に聖霊に満たされ、互いに愛し合い 補い合い、大胆に神様に支えられる信仰に基づいて、関東・関 西・日本の全土および地の果てにまで、福音を大胆に伝えるもの でありたいと思います。

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