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宮清め

テーマ:宮清め

マタイ21:12-17

 

1.激しい宮清めの理由

 イエス様がエルサレムに入城するとき、非常に多くの群衆に「ホサナ、ダビデの子に」と叫ばれながら (21:9)、大歓迎で迎えられました。ところがこれは、イエス様がすべての人から見捨てられる十字架の、たった五日前のことです。マルコ(11:11)を見ると、「こうしてイエスはエルサレムに着き、宮に入られた。そして、すべてを見て回った後、すでに夕方になっていたので、十二人と一緒にベタニアに出て行かれた。」とあります。大歓迎されてエルサレムに入ったイエス様ですが、宮の現状をご覧になって心を痛めて一晩を過ごされたのだろうと思います。

 

 イエスは翌朝、再び宮に入って行かれました。そして私たちがイメージする柔和なイエス様とはかけ離れたことをなさったのです。(v.12)  「それからイエスは宮に入って、その中で売り買いしている者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛を倒された。」

 

 この過激とも思える行動の理由を考えるのに、当時のエルサレム神殿の構造を知る必要があります。当時の神殿(宮)は一番外側に広い「異邦人の庭」があり、その内側に「婦人の庭」、さらにその奥に「イスラエルの庭」があり、いけにえが献げられるのはその奥にある「祭壇」においてでした。

 

 当時のエルサレムには、まことの神様を恐れる多くの異邦人も集まって来ていましたが、彼らは当時のユダヤ人から、まだ神の民になり切れていない二流の信仰者と見られていました。彼らはどんなに高価ないけにえを献げても、そこでの礼拝に参加することはできません。彼らは壁の向こうにある神殿の建物の上の部分しか見ることができませんでした。そして自分たちが入ることを許されている場所には、鳩だけでなく牛や羊を売る者たちが座り(ヨハネ2:14)両替人たちもいて、大声で客を呼び寄せていました。礼拝の場というより、商売の場と化していたのです。

 

 イエスがこの宮の中を歩かれた時も、礼拝にやってきた異邦人や障がいをもった人々や子どもたちが礼拝の場から排除され、騒々しさの中でしか神様を礼拝できない現状に、心を痛められたに違いありません。そこは「祈りの家」とは呼べない状況でした。

 

 この宮の構造と制度は、祭司たちばかりでなく一般のイスラエル人にとっても便利なものでした。一般社会に通用していた硬貨には、まるで偶像のようにローマ皇帝の肖像が描かれていたので、それを宮での献金に用いることはできませんでした。人々はそれを宮が認める銀貨に両替して献金する必要があったのです。それに、境内というか庭で売られていた動物は、いけにえとして合格マークがついていましたが、遠くからはるばるいけにえのための動物を連れてきたとしても、途中で怪我をすればいけにえとして不合格になりました。そういうわけで、祭壇の手前に「商売人」がいることは人々にとって、大きな助けになりました。そして、商売人たちの働きを許可するのは祭司たちの権利だったので、祭司たちはそこから収入を得ることができました。つまり、ここは神様を礼拝する場所ではなく、人間の都合が優先され、社会的弱者がないがしろにされている場所になっていたのです。イエス様による「宮清め」はそのような当時の状況を非難するものでした。

 

2.「わたしの家は祈りの家」

 またイエス様は激しい行動の理由として「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。」と言われました (v.13)。これはイザヤ56:7の引用です。 イザヤ56章を見ると、主なる神様はまず「わたしの救いが来るのは近い」と言われ、主に連なる異国の民が「その民から引き離される」と悲観したり、また宦官が「ああ,私は枯れ木だ」と嘆く必要のない時代が来ると約束されていました。(v.1–3)

 

 そして続く4節以降で、安息日を守り、主の契約を堅く保つ宦官たちには、息子、娘にもまさる記念の名、永遠の名を与えると約束されました。宦官は去勢されていますから子どもを持つことはできません。そんな彼らに対する特別な祝福の約束と言えます。同様に、6節以降では、主に仕え、主を愛して、そのしもべとなった異国の民には、主の聖なる山に来させて「わたしの祈りの家」で彼らを楽しませると約束されました。そうやって当時、人として扱われなかった宦官や、犬と呼ばれた異邦人を例に挙げながら、「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」(v.7)と言われたのです。すべての人を招き入れる礼拝の場所をイエス様ご自身が整えられる、その手始めとして、このエルサレムの宮をきよめられたと言えるのです。 まさに、あらゆる人々を招き入れる「祈りの家」としてのキリスト教会の始まりです。

 

 さらにイエス様は続けて、当時のユダヤ人がその「祈りの家」を「『強盗の巣』にしている」と非難しました。これはエレミヤ7:11の引用で、当時イスラエルの人々が「これは主の宮だ。主の宮だ。主の宮だ」(v.4)とエルサレム神殿が不滅であることを誇る一方で、公正が行われず、寄留者、孤児、やもめが虐げられ、咎なき者の血が流されていたという現実がありました(v.5-6)。しかし、それが改善されることもなく、盗み、殺人、姦淫、偽りの誓いがなされ、偶像バアルに犠牲が供えられていました(v.9)。そこで主は、「わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目に強盗の巣と見えたのか。見よ、このわたしもそう見ていた」(v.11) と言われたのです。

 

 神様は、私たちが集っているこの会堂をも「わたしの家」「祈りの家」と呼ばれます。この礼拝の場の主役は人ではありません。私たちの願いを訴える場所とも違います。礼拝は主に対してささげられるものです。

 

 そして主の「祈りの家」には、当時のユダヤ人たちから人間扱いされていなかった宦官や、見た目も文化や習慣も異なる異邦人も招かれています。教会内に、明らかに私たちの常識の枠を超えた振る舞いをしていながら、同時に私たちと同じ聖書の福音を信じる人がいるでしょうか。そのような人がこの会堂にいて初めて、イエスの言われた「祈りの家」として機能していると言えるのかもしれません。

 

 私たちにとって、様々な人々が教会に加わるのは喜ばしいことと言いながら実際のところ自分と違うものを受け入れられず、ストレスを感じたり、比較が生まれたり、偏見に傷ついたりすることがあるのではないでしょうか。私たちは、その違いを受け入れられない自分たちの罪の現実に気づくことから始める必要があります。

 

3.その後の展開(癒しと子どもたちの賛美)

 それにしても、イエス様の宮清めは、宮の秩序を破壊する暴力と受けとられ、多くの人々を敵に回し、ご自身の十字架を決定的にしました。

 

 しかしこれによって新しい展開が起こりました。「すると(新改訳:また)宮の中で、目の見えない人たちや足の不自由な人たちがみもとに来たので、イエスは彼らを癒された」(v.14) イエス様が宮で世的な利便性の論理を排除した時、社会で軽んじられていた人々が前に出て来ることができたのです。当時「目の見えない人」や「足の不自由な人」は神に呪われた者と見られて、宮の中に居場所がありませんでした。けれども、「異邦人の庭」から商売人が追い出された時、彼らは安心してイエス様に近づくことができました。彼らも、イエス様の噂を聞いていて、イエス様に近づきたいと思っていたことでしょう。お金を生み出すための空間が排除された時、彼らは安心してイエス様に近づくことができたのです。

 

 これに続いて、もう一つの動きがありました。(v.15) 祭司長たちや律法学者たちのことです。彼らは「イエスがなさったいろいろな驚くべきことを見て」「宮の中で子どもたちが『ダビデの子にホサナ』と叫んでいるのを見て」腹を立てたのです。神を礼拝する場所で、礼拝とは関係ない形で癒しが行われたこと、また神を礼拝する場所で「人間イエス」がたたえられていることに怒り、イエス様に抗議しました。「子どもたちが何と言っているか、聞いていますか」(v.16) するとイエス様は、詩篇8:2のみことばを引用して「あなたがたは読んでいないのですか」と質問返しをなさって、あのみことばが実現しているのだと教えられたのです。

 

 幼子たち、乳飲み子たちは、神学論争や難しいことなどお構いなしです。目の前でイエス様が目の見えない人や足の不自由な人たちを癒していることにただ素直に感動して、この方こそ「ダビデの子」としての救い主であり、「救ってください(ホサナ)」と賛美されるべき方であると分かったのです。

 

 私たちの心の状態はどうでしょうか。”大人の事情”、目の前の商売に心捕らわれているなら、主を賛美している子どもの声は騒音でその存在は邪魔でしかありません。私たちは、子どもたちのように、主のみわざに感動し、ただ主ご自身を喜んでいるでしょうか。

 

 マルコの福音書の方では、目の見えない人や足の不自由な人、そして子どもの記述がない代わりに「わたしの家は祈りの家と呼ばれる」という表現に「あらゆる民の」という言葉が付け加えられています(11:17)。こちらの方がイザヤ書を正確に引用していると思います。神様は外国人や宦官を指しながら、「わたしの祈りの家で彼らを楽しませる」「なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ」と記されていたからです (イザヤ56:7)。「あらゆる民」でささげる礼拝こそ、神様が計画されていることなのです。地上の礼拝は、御国で実現するこの礼拝を、現わそうとするものです。

 

 ところが、実際「あらゆる民」を教会に迎えようとする時、様々な困難が生まれます。文化や習慣、感性は大きく異なり、互いの好みや主義主張がぶつかり合うからです。けれども、神様が用意されているゴールに向かっていくには、困難や不快感から逃げずに、神様から知恵と愛が与えられるように祈りつつ、その違いを受け入れていくことです。時間や犠牲、忍耐を求められるかもしれませんが、それをあなたの力で乗り越えていくのではなく、神様の力によって進んでいきましょう。

 

 私たちが「あらゆる民の祈りの家」に連なっている者として今日、主に応答していく小さな1歩は何でしょうか。

 

 この会堂が「あらゆる民の祈りの家」となりますように。

 

 私たちの心もきよめていただきましょう。

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