使命を与えられる
導入: 紀元前1500年代、イスラエルの先祖、ヤコブの一族は、当時周辺に起こった飢饉を避けるため、エジプトに移住しました。創世記の後半に描かれているとおりです。この家族、イスラエルの民族は、当初70人ほどでしたが、300年以上の時を経ておびただしく増加し、エジプトの国にとって脅威となっていました。時が移り、王朝も代わっていったので、大臣として活躍していたヤコブの息子、ヨセフを知らない時代になり、それまで優遇されていたイスラエルの民は、厳しい試練に遭うことになります。どんどん増えていく強さを持ったイスラエルの民を恐れたエジプトは、彼らの勢いを衰えさせるために苦役を課し、男の赤ちゃんを殺害するようにとの命令まで出していました。そんな時代にモーセが誕生したといいます。 今日は、出エジプト記に記されている本文は長いので、新約の時代にステパノが殉教直前に語ったメッセージの中にコンパクトにまとまっているモーセについての記事を読んでいただきました。 本論 モーセはどんな人だったか。 v.20――神の目にかなった、かわいい子(出エジ2:2でもヘブ11:23にも「その子のかわいいのを見」と記されている) v.21――(家族から引き離されて)不幸な境遇のようだが v.22――エジプトの教育を受けた。当時のエジプト(BC13世紀ごろ)を考えると、第18王朝の時代で、世界最高レベルの教育を受けたと考えられる。 v.22――ことばにも行いにも力があった。ということは、リーダーとしての素質もあったと言えるだろう。
転機 ところが、彼が40歳の頃、事件を起こします。(v.23-)殺人事件。動機は同胞をかばうためでした。彼はエジプト王の宮殿で暮らしながらもイスラエル人としてのアイデンティティーを失うことなく、奴隷として苦しみながら働いている仲間を見て、いったい自分は何者なのか、なぜ同胞から離れて宮殿で育ったのか・・・と葛藤し、自分を模索していたのでしょう。同胞が虐待されているのを見て、イスラエルの血が湧きたったということでしょうか。そこで同胞をかばい、守るためにエジプト人を打ち殺してしまいました。それは、彼自身が良かれと思ってやったことでしたが、翌日になって、その行為は同胞にも理解されなかったことが分かります。(v.26-28)私たちにもそのような経験があるかもしれません。わかってほしい人に理解されなかったり、善意を誤解されて受けとられてしまったり・・・。 そしてこの事件のためにエジプト王にも命を狙われるようになってしまったのでモーセはミディアンの地(シナイ半島の右の方。かなり遠かったと思われる。)に逃げました。そして、この逃亡生活は約40年間だったということがステパノの説教を聞くと分かります。彼はその間に結婚し、子どもも与えられました。「40年」は決して短い時間ではありません。彼が家族と過ごし、しゅうとの羊を飼って過ごしている40年間もエジプトでは「イスラエルの子らは重い労働にうめき、泣き叫んだ」(出エ2:23)と言います。神様に泣き叫んでいたのです。どれほどの苦しみだったでしょう。
神様の語りかけ モーセ80歳。そのとき、神様はモーセに現れました。(出エ3章)燃える柴の中で。彼はその時に自分のなすべきことを聞きます。(使徒7:34)→「イスラエルの民をエジプトから救い出すために働く」ということです。驚くべき使命が与えられました。 振り返ってみましょう。高学歴で、外見も人を惹きつけるものを持っていたモーセでしたが、彼は取り返しのつかないこと(殺人)をしてしまいました。しかし、神様はそんな者をも見捨てず、40年間のミディヤンの地での生活を通して訓練し、名前を呼んで(出エ3:4)なすべきことを教えてくださったのです! とは言っても、モーセは自分のしたことを悔い改め、新しい人生を求めて神様に叫んでいたかというとそういうわけではありません。普段の生活を営み、仕事を淡々とこなしていただけとも言えます。でも、その普段の生活を通しても神様はモーセを養い、訓練し、導いておられました。彼は大きなことを成し遂げたから呼びだされたのではありません。ミディヤンでの40年間羊を飼う日々は何の変哲もない日常だったのです。 けれども、神様はそのモーセの名を呼んで、使命を与えられました。そして神様のイスラエルの民に関する壮大な”出エジプトプラン”を知らせ、それを成し遂げる力も与えてくださいました。罪を犯し、逃亡生活をしていたひとりの男に対して神様がなさったのはびっくりするようなことです。 しかしながらこれは、神様がモーセを特別扱いしたというストーリーではありません。出エジプト記によれば、神様が、イスラエルの民の悩みを見、嘆き叫びを聞き、痛みを知っていてくださったことが分かります。神様のご計画は私たちの毎日の歩みから遠く離れたものではないのです。神様はあなたの悩み、嘆き叫びも見て、聞いて、知っていてくださいます。そして最善の救いを用意しておられるということを忘れてはなりません。
モーセの不安に対して 様々な経験をしてきて、人生大ベテランの80歳のモーセ自身でしたが、神様からの使命を聞いて不安がありました。そのやりとりが描かれます。(①出エ3:11 私はいったい何者? ②出エ3:13人に聞かれたら何と答えればいいのか分からない。 ③出エ4:1 みんな私のことを信じないし、聞いてくれないだろう。自信ない。 ④出エ4:10 自分はことばの人ではない。 ⑤出エ4:13 他の人にして!)何度も何度も不安と恐れに押しつぶされそうになりながら神様に訴えるのです。 そして神様は、その一つ一つに応え、証拠を与え、ともにいると約束を与えて、(出エ3:12,4:12,15)「私が遣わすのだ」と背中を押して下さるのです。
適用 あなたは今どんなところに立っておられるでしょうか。生まれ育った環境のまま、様々な葛藤を感じながら親の敷いたレールに乗せられてここまで来た感のある40歳までのモーセでしょうか。 それとも、自分の決断でことを起こしたけれど、はたしてこれで良かったのかと後悔と自己肯定を行ったり来たりする日々を送る80歳までのモーセでしょうか。 神様はあなたに目を留めておられます。今日生かされているということは、使命が与えられているということです。要らないなら今ここにはいません。この毎日を通してあなたを整え、御用のため(自己満足のためではありません!)に用いてくださいます。 使徒7:35-36→人々はあなたを理解せず、認めないこともあるかもしれません。けれども、神様のことばを聞き、従っていくとき、神様は大いなるわざのためにあなたを用いてくださいます。あなたが遣わされて行く家庭、職場、学校で、神様はともにいてくださり、その使命を全うすることができるように助けてくださるのです。