今生きる

Eccl. 3:1 すべてのことには定まった時期があり、 天の下のすべての営みに時がある。 Eccl. 3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。 植えるのに時があり、 植えた物を抜くのに時がある。 Eccl. 3:3 殺すのに時があり、癒やすのに時がある。 崩すのに時があり、建てるのに時がある。 Eccl. 3:4 泣くのに時があり、笑うのに時がある。 嘆くのに時があり、踊るのに時がある。 Eccl. 3:5 石を投げ捨てるのに時があり、 石を集めるのに時がある。 抱擁するのに時があり、 抱擁をやめるのに時がある。 Eccl. 3:6 求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。 保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。 Eccl. 3:7 裂くのに時があり、縫うのに時がある。 黙っているのに時があり、話すのに時がある。 Eccl. 3:8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。 戦いの時があり、平和の時がある。 Eccl. 3:9 働く者は労苦して何の益を得るだろうか。 Eccl. 3:10 私は、神が人の子らに従事するようにと与えられた仕事を見た。 Eccl. 3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。

「今を生きる」

 伝道者の書3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。

 2月の後半から自粛要請更には緊急事態宣言が出されました。 自分に与えられていた礼拝奉仕やキャンプ奉仕などは夏のものまでキャンセルとなり、 一時はこれからどうなるのだろうかと思いました。

 団体としては今だからできることに取り掛かろうと言うことで、 YouTubeでメッセージを配信し、オンライン集会を開催しました。

 日頃から出張が多く、日曜日は家族と過ごすことがほとんどできていなかったので、 ゆっくりと家族と過ごすこ良い時間が与えられました。

 もともと出不精なので、初めのうちは二週間ほど自宅から一歩も出ずにひたすら企画準備をしていましたが、マラソンを始めほぼ毎日近所の山の中を10キロほど走るようになり、 良い習慣を得ることができました。

 今日は台湾教会の皆様と無事に会えたことを嬉しく思います。

緊急事態宣言中、 教会はオンライン配信を通して礼拝を行うところが多くありました。 その間、教会に集まることができませんでしたが、 決して教会が閉鎖されていたわけではありません。

 一ヶ月半の間アメリカの教会では(ジョシュ・恵太)オンライン配信により、 自宅で配信を見ていたノンクリスチャンの家族が多く(4万人)救われたと聞いています。  試練の時ではありましたが、 あらゆるツールを使って福音が拡散されていった、 そのような期間であったと思います。

 この期間中自分自身も改めて教会と礼拝の意義を考えさせられました。 教会とはギリシャ語でエクレイシ(εκκλησια)と言い、 意味は「呼び出された者の集まり」で、建物のことではありません。

オンラインで互いに繋がっていく中で教会を作っているのは、 キリストを信じる私たち一人ひとりだと再確認させられました。

私たちがこの教会に集められているのは偶然ではありません。 教会は頭(かしら)であるキリストを中心として様々な賜物を持った者たちが仕え合って形成されています。時としてトラブルもありますが、「私たちのうちに働く神の御力」が現されるところです。

それと同時に自宅に留まっていた間に、 実際に集まって礼拝する喜びと恵に気づくことができたのではないでしょうか。 日頃は朝眠いと言っている高校生も、奉仕が大変だぁと呟いていたひとも、 集まって礼拝をしたくなった思います。

オンライン礼拝により母教会から離れてしまう人が出るかとおもいましたが、 むしろ緊急事態宣言中に互いに教会員同士でのつながりが強くなっていったからです。 (オンライによる祈祷会・中高科・幼稚科)

今後も更に教会の一員である私たちは、恵を受けるだけでなく、 教会に貢献できることを見つけるものでありたいと思います。

今現在、まだ油断はできませんが、 誰も予期しなかったコロナウィルスの感染拡大が収束しつつあります。 なぜこんなことが起こったのだろうか…と理由を考えてもわからないことばかりです。

伝道者の書にはのように書かれています。

Eccl. 3:1 すべてのことには定まった時期があり、 天の下のすべての営みに時がある。 Eccl. 3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。 植えるのに時があり、 植えた物を抜くのに時がある。 Eccl. 3:3 殺すのに時があり、癒やすのに時がある。 崩すのに時があり、建てるのに時がある。 Eccl. 3:4 泣くのに時があり、笑うのに時がある。 嘆くのに時があり、踊るのに時がある。 Eccl. 3:5 石を投げ捨てるのに時があり、 石を集めるのに時がある。 抱擁するのに時があり、 抱擁をやめるのに時がある。 Eccl. 3:6 求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。 保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。 Eccl. 3:7 裂くのに時があり、縫うのに時がある。 黙っているのに時があり、話すのに時がある。 Eccl. 3:8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。 戦いの時があり、平和の時がある。

 伝道者の書3:1には 「すべてのことには定まった時期があり、 天の下のすべての営みに時がある。」とあるように、

私たちはこの与えられている「時」を 使命感を持って全力で生きるのみです。

私たちは生きていく中で起こること全てを理解し、 事態をコントロールすることはできません。

ただ無意味に偶然、コロナが感染しているわけではありません。 神はことさらに人間に試練を与える方でもありませんが、神は全てのことをご存知なのです。

現代科学の知恵を持っても今回のウィルスの感染拡大は思った通りに 制御することができていません。

私たちは様々な計画を立てるのですが、それを成し遂げてくださるのは神であり、 私たちは神から与えられた「時」今を生きることしかできないのです。

 過去・現在・未来と私たちは時間を分けて考えますが、 私たちが活動できるのは過去でも未来でもなく今なのです。

 今というのは一瞬です。

ある人は過去囚われてしまったり、 将来を心配するあまりに、 不安になったりしています。

Matt. 6:34 ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。 明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

とあるように、今日、今与えられている労苦を負い、 今を喜びを持って生きるものでありたいと思います。

特に、緊急事態宣言が出された時にはそれおを思いました。 今、何ができるのか、今しかできないこと、今するべきこと、

どうせやるならば今まで以上に高校生に福音を伝えようと思ったのです。 今現在に全力を注ぐことにより、楽しく充実した日々が与えられました。

Eccl. 3:1 すべてのことには定まった時期があり、 天の下のすべての営みに時がある。

私たちが主と共に生きる限り、 無駄な時間も乗り越えられない試練もありません。

先の見通しが見えにくい今は年末の働きの予測さえつきにくい状況にあります。 来年のことも予測できません。

しかし、私の場合はただ単純に与えらている召、 「みこことを求めて従う」 全ての高校生に福音を伝える使命に生きるのみです。 皆さんはどのような「使命」が与えられているでしょうか。

たとえノンクリスチャンが経営する会社で働くことであったとしても、 神の民である私たちはそこで成すべき「使命」が与えられていると確信します。

神の民として、今どれだけ神からの使命に生きることができるかが 問われているのではないでしょうか。

10年間完璧に生きることは難しいと感じますが、 ただ単純にシンプルに、 今一瞬いっしゅんを、 神に与えられている信仰のともと、 喜びを持って生きるものでありたいと思おます。 これから先に起こることは私たちにはわかりません、 しかし、不安になる必要はないのです。

なぜなら「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と神は私たちに宣言されました。

今から起ることを予測はできません。 しかし、起こった事柄から少しづつでも学んでいくことができるはずです。

神を愛するものには、 コロナの被害さえも全てのことを益としてくださる神に、 さらに期待していきましょう。

Rom. 8:28 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。

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