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を覚ましていなさい你們要警醒

マタイ25:1-13

今日の結論は(v.13)「目を覚ましていなさい。」

24章の初めで、エルサレム神殿の破壊を予告したイエス様のことばに驚いた弟子たちが、そのあとオリーブ山というエルサレムの町の東側にある山で、イエス様にどういうことですかと詰め寄った時にイエス様が答えられた続きの部分です。

―――オリーブ山とは、海抜800メートルほどで、エルサレム市街は海抜754メートルなのでそれよりも数十メートル高い「丘」といえるような山。高尾山が海抜699メートルなのでそれより少し高い。ここにはオリーブ畑があったのでこの名前がつけられています。

馬太25:1-13

今天的結論是(v.13)「你們要警醒。」

在第 24 章開頭,門徒們對耶穌預言耶路撒冷聖殿被毀的話感到驚訝,於是在耶路撒冷城東邊的橄欖山上來到耶穌那裡,問他是怎麼回事? 這是耶穌回答的延續部分。

――――橄欖山海拔約800公尺,而耶路撒冷城海拔754公尺,可以說是比耶路撒冷城高出幾十公尺的「小山」。高尾山海拔699公尺,所以橄欖山比高尾山稍微高一點。因為這裡有一片橄欖園而得名。



イエス様は、この世の終わりがあること、そしてその時に起こる前兆について語られました。

私たちは、この世界や自分のいのちがいつまでも続くような錯覚を起こします。けれどもそれは真実ではありません。聖書ははっきりと(24:14)「終わりが来ます」と語っています。


耶穌談到了世界末日以及那時將發生的徵兆。

我們有這個世界和我們的生活將永遠持續下去的錯覺,但事實並非如此。聖經清楚地說(24:14):「末日會臨到」。


少し話はそれますが、私の父は、2年前に天国に行きました。彼は若いころからhi-b.a.で働き、定年まで勤め上げ、その後、京都の教会で牧師をしました。つまり、イエス・キリストを信じ、従っているクリスチャンでした。けれども彼が天に凱旋する前、病気で数年にわたる治療を受けていましたが、心臓がだいぶ弱っていることを検査結果で見ても、また自分の足がむくみ、呼吸が苦しい状態になっても「あと9年は生きる」と言っていました。今思えばそれは彼の願いだったのでしょう。でも、その時、近くにいる私たちは「現実を見て、自分の残りの日々の過ごし方をよく考えてほしい。自分の終わりの時としっかりと向き合ってほしい。」と思ってきつい言い方をしてしまいました。結局彼は、優柔不断というか、周りへの心遣いもあってか、葬儀のことやお墓のことなど意思表明をし、決断していくことはありませんでした。遺された娘たちが困ったのは言うまでもありません。「終活」という言葉がよく聞かれるようになった今でも、人は「終わり」を意識すること、向き合うことが難しいのだと思った出来事でした。


岔開話題一下,我父親兩年前去了天國。他從年輕的時候就開始在hi-b.a工作,直到退休。後來,他在京都的教會牧會。換句話說,他是一位相信並且跟隨耶穌基督的基督徒。然而,在他凱旋歸天之前,他因為生病,接受了幾年的治療,儘管檢查結果顯示他的心臟明顯衰弱,雙腿浮腫,呼吸困難,但他仍說:「我還會再活9年。」現在想想,這可能是他的願望吧? 但當時,在他身邊的我們卻想著:「希望你能正視現實,認真思考如何度過餘生,好好地面對自己的臨終。」說出這種很嚴厲的話。最後,或許是因為他的優柔寡斷,或許是因為他為周圍的人有所顧慮,他始終沒有對葬禮或墳墓做出決定。這件事讓我想到,即使是經常聽到「終活」這個詞的現在,人們也很難意識到並且面對「臨終」。


私たちが「終わり」を意識するとき、「今」の生き方を考えさせられます。今、置かれたところでどう生きるべきか。私たちがこの世に生かされているのは、神様の意図(ご計画)があるからです。神様は私たちがどのようにこの時代、この世界で生きることを願っておられるのでしょうか。


當我們意識到「臨終」時,我們就被迫思考「現在」的生活方式。我們在現在的處境,應該如何生活?我們之所以能活在這個世界上,是因為上帝有一個計劃。上帝會希望我們怎樣活在這個時代、這個世界上呢?

この箇所で「愚かな娘と賢い娘」が5人ずつ出てきます。彼女たちは、結婚式で大切な役割を担っていました。ここにいらっしゃる方々でご結婚なさっている皆さんはどのような結婚式を挙げられたでしょうか。時代や文化の違いでお祝いの仕方は違いますね。

古代ユダヤの「婚約式」は一般的に女性の家で行われ、婚約から結婚までは通常一年ほどあったので、男性はその間に新居の準備をしました。新居を準備するというのは大変なことですから、親もこれに協力したそうです。ちなみに女性側はその間に洋服や家具などをそろえました。

在這段經文中,有五個愚笨的女孩和五個聰明的女孩。他們在婚禮上扮演了重要的角色。在座有結婚的弟兄姊妹們,你們舉辦了什麼樣的婚禮呢?根據時代和文化的不同,慶祝方式也不盡相同。

古代猶太人的「訂婚」儀式一般在女方家中舉行,訂婚和結婚之間通常有一年左右的時間,在此期間男方進行新家的準備。準備新家是一項艱鉅的任務,聽說父母親也會幫忙。此外,女方在那段期間會準備衣服、家具等。


「結婚式」当日は、広い中庭のある家を会場に、家族や友人などが集まります。花婿と花嫁は、まずそれぞれの家でパーティーをし、その後夕方、花婿と付き添い人たち(groomsman)が花嫁の家まで迎えに行きます。そして花婿たちは、花嫁と付き添い人たち(bridesmaid)と一緒に帰ってきます。

花婿が花嫁を連れて戻ると、皆でお祝いをしました。そんな結婚パーティーは一週間ぐらい続くこともあったようです。

そういった流れのため、花嫁の付き添い人が10人、花婿たちを迎えようと、ともしびを準備してスタンバイしていたのです。

婚禮當天,家人和朋友聚集在一座有大庭院的房子裡。新郎和新娘先在各自家裡舉行宴會,然後到了傍晚,新郎和伴郎到新娘家接她。接著,新郎帶著新娘和伴娘一起回家。

當新郎帶著新娘回來時,大家一起慶祝。這樣的婚宴有時會持續一週左右。

因為是這樣的流程,十位伴娘提著油燈待命,準備迎接新郎。


ともしびと聞いて皆さんはどのようなものを想像するでしょうか。ろうそく1本?ランタン?懐中電灯?電気がない時代です。彼らはランプを使っていました。

当時のランプは陶器の変形したお皿のような形をしていました。(餃子の皮を厚くしたような?)新約聖書の時代にはこれを陶器師が作るようになっていたので上をすっぽり覆った小さな急須のような形になりました。そこにオリーブオイルやそのほかの種や野菜からとった油、または動物の脂肪の油を注いで、布切れを灯芯にして火をつけるのです。簡易ランプです。

當聽到油燈這個詞的時候,請問各位的想像中會是什麼樣的物品呢?一根蠟燭?燈籠?手電筒?那是一個沒有電的時代。他們使用煤油燈。

當時,燈的形狀像變形的陶瓷。 (像更厚的餃子皮?) 在新約時代,陶工開始製作這些,所以它們的形狀變成像一個上方完全覆蓋的小茶壺形狀。將橄欖油或其他來自種子、蔬菜或動物脂肪的油倒在上面,然後用一塊碎布作為燈芯點燃它。是一盞簡易的燈。


 さて、この箇所では何が問題だったのでしょう? (v.3)あるおとめ(娘)たちが「油を用意しておかなかった」ということです。


 では、イエス様はこのたとえ話を通して、「あなたも賢い娘たちのように余分な油を用意しておきなさい。」とおっしゃりたかったのでしょうか?きちんと計算して、想定外のことが起こっても、万が一の時にも、備えていなさい、リスクマネージメントをしっかりしなさいということを教える箇所なのでしょうか。

那麼這裡出了什麼問題呢? (v.3) 有些童女(少女)「沒有準備油」。

那麼,透過這個比喻,耶穌是否想說:「請你也像聰明的少女一樣,事先準備多餘的油」?這部分是教你好好計算、為意外情況的發生做好準備並進行適當的風險管理嗎?

【いつ?】

 13節「ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。」このイエス様のおっしゃる「その日、その時」は「花婿が来る時」を指しています。それは、直接的には、イエス様がもう一度この世に来られる「再臨」と言われる日のことで、この世の終わりを示していることが、聖書を読むとわかります。

 つまり、イエス様がいつこの世界に戻ってこられるのか、この世の終わりがいつ来るのか誰も知らないのです。

 そんなことを聞くとある人たちは不安に陥ります。またほかの人たちは自暴自棄になります。何をやっても仕方ないと。けれどもある人たちは、その時に備えて生きることを考えるのです。その時が「いつ」なのかは分かりませんけれど。そういう時が来ることを見据えて生きるのです。


【何時?】

13節「所以,你們要警醒;因為那日子,那時辰,你們不知道。」耶穌所說的「那日、那時辰」指的是「新郎來的時候」。當我們讀聖經時,我們可以看到,這直接指的是被稱為耶穌再來世上的「再次降臨」的那一天,這表示著世界的終結。

換句話說,沒有人知道耶穌什麼時候會回到這個世界? 這個世界的末日什麼時候到來?

有些人聽到這個消息後會感到不安。其他人變得自暴自棄。無論做什麼都沒有用。但有些人卻想著預備那個時候到來而活。我不知道那個時間會是「什麼時候」? 我們專注留意那一天的到來。


【分からないから備える】

私たちは、人生の中で様々な計画を練ります。そして計画の実現のために備えるのです。それは悪いことではありません。私自身もやらなければならないことが山のようにあるので、忘れてしまわないようにやるべきことを毎日リストアップします。でも予定通りにいかないことが度々あります。予想以上に時間がかかったり、別のことが突然入ってきたり、体調を崩したり・・・。

【因為不知道而準備】

我們平常在人生中製定各種計劃,並且為了實現計劃來做準備。這並不是一件壞事。我自己有很多事情要做,所以我把每天需要做的事情列出來,以避免我忘記。但有時事情並不會按計劃進行。事情可能需要比預期更長的時間,可能會突然發生其他事情,或者身體不適......。


この夏は、hi-b.a.でも思わぬ想定外の状況が起こりました。キャンプでコロナに感染し、あるキャンプでは重責を担うスタッフが数人、参加奉仕できなくなったのです。私自身は臥せっていたので正確には分かりませんが、本当に現場は大変でした。いろいろ想定して備えることが重要だと思ったと、彼らは語っていました。


今年夏天,在hi-b.a.也遇到了意想不到的意外情況。在一個營地,有好幾位負有重要職責的工作人員,在營地感染了新冠肺炎,無法參與服事。我自己是臥病在床的,所以不太清楚,但是現場狀況真的很辛苦。他們表示,要想定各種情況,並且做好準備很重要。


重要なのは、その日その時がいつなのか、誰もわかっていないということです。私たちは様々なことを効率的に、合理的に考えて進めようとしますが、計画通りにいくとは限りません。自分の方法、自分のタイミング、自分の計画があって、せっかく油の準備をしていても、思いのほか花婿が来るのが遅れたり、眠くなってしまったりするのです。もし、夜中になる前に気づけば、油を買いに行ったり、もらいに行ったりすることができたかもしれません。でも、睡魔には勝てないのです!


重要的是,沒有人知道是哪一天? 是什麼時間? 我們試圖高效率地、理性地思考做事,但事情並不總是都能按計劃進行。用自己的方法,在自己的時間,在自己的計劃中,儘管我好不容易準備好油,但新郎卻意外遲到,或者我想睡了。若在午夜之前注意到這一點,我也許就能去買油或拿點油了。但我無法戰勝睡意!

【目を覚ましている】

イエス様は、別のシーンでも「目を覚ましていなさい」とおっしゃっています。十字架にかかる直前のゲッセマネの園でのことです。(マタイ26:38,41)「わたしといっしょに目を覚ましていなさい。」「誘惑に陥らないように目を覚ましていなさい。」

パウロも言いました。エペソ6:18「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、絶えず目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。」

【警醒】

在另一個場景中,耶穌說:「要警醒。」這事發生在他被釘十字架之前的客西馬尼園。 (馬太福音 26:38, 41)「你們要與我一同警醒。」「你們要警醒,免得陷入誘惑。」

保羅也有說。在以弗所書 6:18 「靠着聖靈,隨時多方禱告祈求;並要在此警醒不倦,為眾聖徒祈求。」

【何を見てる?】

私たちは肉体的にも霊的にも弱いものです。そんな私たちが目を覚まして、どうするのでしょう?一所懸命目を開けていても、何を見るかで次のステップは変わります。また、同じものを見ていても、人はいろいろな見方をします。同じプロジェクトに関わっても、年齢、性別、キャリアが違えば受け取り方、発想は変わってきます。ただ目を開いているのではなく、見るべきものを見ていなければなりません。

へブル12:2「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。・・・」 私たちが見るべきはイエス様です。

【看見什麼?】

我們在身體上和精神上都很軟弱。這樣的我們警醒,要做什麼呢?即使努力地睜大眼睛,您的下一步都會根據您所看到的內容而改變。還有,即使是同一件事,人們也會有各種不同的看法。即使參與同一個專案,你接受它的方式和你的思考方式也會根據你的年齡、性別和職業而有所不同。不僅僅只是睜大眼睛,你必須看到你應該看到的事物


希伯來書12:2「請不要將目光從信心創始成終的耶穌身上移開……。」我們應該仰望的是耶穌。


マタイ14:22~33でペテロが湖の上を歩いておられるイエス様を見て、「私に命じて、水の上を歩いてあなたのところに行かせてください。」と言って湖の上を歩き出した出来事がありました。

あの時、驚くことにペテロは確かに湖を歩き始めたのです!「ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った。」とありますから。でも、途中で強風を見て怖くなり、沈みかけたと聖書は記します。

在馬太福音 14:22-33 中,彼得看見耶穌在湖上行走,就說:「請叫我從水面上走到你那裏去。」然後開始在湖面上行走了。

此時,令我驚訝的是,彼得確實開始在湖上行走了!聖經說:「彼得就從船上下去,在水面上走,要到耶穌那裏去。」然而,聖經記載,在途中,他看見一陣強風,受到驚嚇,開始下沉。


新改訳2017ではこの個所に不思議な表現が使われています。「強風を見て」風は普通見えないはずです。でも彼は見たのです。初め、舟から踏み出したときは、彼の目はイエス様を見ていました。でも、自分の耳に入ってくる風の音、頬に触れる空気の流れを感じて目をそらし、怖くなってしまいました。私たちは今、目を覚ましているでしょうか。この時代、先を見通せず、希望を見出しにくい状況で、あきらめ、目をつぶって見えないふりをし、眠りこけていないでしょうか。また、目を覚ましているなら、何を見ているでしょうか。多くの人が生きづらさを感じている時に、私たちは与えられている信仰を働かせ、イエス様を見つめているでしょうか。

在《新改譯2017》中,此處使用了一個不可思議的表現。「看見強風」, 風通常是看不見的。但他看到了。當他剛開始走出船時,他的眼睛就注視著耶穌。但當他感覺到耳邊有風聲、氣流拂過臉頰時,他把目光移開,感到害怕。我們現在是警醒的嗎?在這個時代,當我們無法預見未來,很難找到希望時,我們是否就放棄了,閉上眼睛,假裝看不見,睡著了呢?此外,如果您警醒著,您在看什麼呢?當許多人感覺生活痛苦時,我們是否活出信仰,並且仰望耶穌呢?

【結論】

いろいろな「時」を私たちは見極めることができません。「神様の時」があるので、私たちのタイミングや計画通りにはいかないことが多くあるかもしれません。だから、目を覚ましている必要があり、神様の「時」や「方法」を待ち望むことが大切です。


多くの情報が私たちを取り囲んでいます。その中で、見るべきもの、見るべきお方を見ていきましょう。肉眼でそのお方を見ることはできないのですが、今も生きて働いておられる方です。


今朝、自分の心の状態を点検してみてください。目をさましているか、見るべきものを見ているか、イエス様の足跡に従っていきましょう。

今日は最後まで目を覚まして、みことばからのメッセージを聞いてくださり、感謝します。

【結論】

我們無法看清各種「時間」。因為有「上帝的時間」,可能有很多事情沒有按照我們的時機和計劃進行。所以我們需要警醒,等候盼望上帝的「時間」和「方式」。

我們周圍有很多訊息。在其中,我們來看看應該要注視的事物以及我們應該要注視的人。雖然我們肉眼看不見祂,但祂依然活著,還在做工。

感謝各位一直保持清醒直到結束,謝謝聆聽上帝而來的信息。


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