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ハガルという女性

  • taiwanchurchtokyo
  • 1 日前
  • 読了時間: 11分

「ハガルという女性」

創世記16:1

アブラムの妻サライは、アブラムに子を産んでいなかった。彼女にはエジプト人の女奴隷がいて、その名をハガルといった。

 今日も「母の日」がやってきました。皆さんそれぞれにご自分の「母」がいらっしゃいます。血のつながった母、義理の母、また大変お世話になった「母」のような存在…と、顔を思い浮かべると、いろいろな思い出がよみがえってくるでしょう。ひと時、私たちのここまでの歩みに深く愛情を注いでくれた母を覚えて感謝して祈りましょう。

ーーー祈りーーー

 今日は旧約聖書のハガルという女性に注目します。実は、聖書はこの女性について多くを述べていません。先ほど読んでいただいたようにアブラハムの妻、サライという人の女奴隷でした。

 覚えていらっしゃるでしょうか、1年前の今日取り上げてお話ししたサラです。ハガルは国籍がエジプトで、サライに仕える者だということしか紹介されていないのです。

 創世記12章で約束の地に向けて旅だったアブラハム夫妻は、一度カナンの地に入りましたが、その後飢饉が起こったのでエジプトに向かってしばらく滞在したと書いてありますので、その時に少女を雇ったのでしょう。

1.ハガルの立場ーサラの女奴隷

 つまり、ハガルは、女主人であるサラに従うべき立場にあります。逆を返せば、サラはハガルを自分の好きなようにすることができました。ですから、子どもを産めなかった自分の代わりに夫の子どもを産ませるために、自分のしもべハガルを夫に差し出したのです。

創世記16:2-3

サライはアブラムに言った。「ご覧ください。主は私が子を産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。おそらく、彼女によって、私は子を得られるでしょう。」アブラムはサライの言うことを聞き入れた。

アブラムの妻サライは、アブラムがカナンの地に住んでから十年後に、彼女の女奴隷であるエジプト人ハガルを連れて来て、夫アブラムに妻として与えた。

 今の時代なら、人権無視、性的虐待として大きな問題になるでしょう。ところが、当時の道徳基準によればごく普通のことでした。

 でも、それは神様の基準には、かなっていなかったのです。また、アブラハムとサラ夫婦について神様が教えてくださったご計画とも違っていました。

16:4- 彼はハガルのところに入り、彼女は身ごもった。彼女は、自分が身ごもったのを知って、自分の女主人を軽く見るようになった。

ハガルは妊娠しました。子どもは神様の祝福のしるしでしたし、そもそもそれは、アブラハムとサラ夫婦にとっては願った結果のはずですが、実際はそううまくはいきません。ハガルの気持ちに大きな変化が起きて、自分の主人に対する態度が変わったのです。そこで、

16:5 サライはアブラムに言った。「私に対するこの横暴なふるまいは、あなたの上に降りかかれば良いのです。この私が自分の女奴隷をあなたの懐に与えたのに、彼女は自分が身ごもったのを知って、私を軽く見るようになりました。主が、私とあなたの間をおさばきになりますように。」

 サラの嫉妬の嵐が始まりました。容易に想像できます。愛する人との間の子どもを願っているのに、なかなか妊娠できない。それを、若い女性がいとも簡単に(?)乗り越えてきたのです。それだけならまだしも、主人である自分をさげすみ、軽んじ、横柄な態度を取るようになった・・・・だとしたら、サラとしては、きっと悔しくて、悲しくて、感情のコントロールができなくなったのでしょう。夫を責めてしまいます。ハガルが妊娠して赤ちゃんが生まれるまで10か月。その間、何度も何度も苛立ち、夫に八つ当たりし、夫婦関係も泥沼化していったのでしょう。とうとう、アブラハムはこう言います。

16:6 アブラムはサライに言った。「見なさい。あなたの女奴隷は、あなたの手の中にある。あなたの好きなようにしなさい。」それで、サライが彼女を苦しめたので、彼女はサライのもとから逃げ去った。

2.逃げ出したハガル

 アブラハムの許可を得て、サラは堂々とハガルを苦しめました。あまりに酷い仕打ちだったのでしょう。ハガルは妊婦にも関わらず、逃げ出してしまいました。「女の闘い」で負けたのはハガルのようでした。

 この状況を皆さんはどう思いますか。ハガルはなんてかわいそうなんだろう!と思いますか。それとも、態度が悪かったのだから仕方ないと思うでしょうか。

 この場合、サラもハガルも二人とも、神様の目には許されないことをしていたことが分かります。

16:7-9 主の使いは、荒野にある泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけた。そして言った。「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」すると彼女は言った。「私の女主人サライのもとから逃げているのです。」主の使いは彼女に言った。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女の下で身を低くしなさい。」 

 神様は使いをハガルのもとに送り、サライのところに帰ってまたしもべとして歩むよう命じられたのです。でも、この命令は、ハガルにとってどれほど辛いものだったでしょう!彼女は荒野の中の泉を見つけて、そこで一息つきながら、これからどうしたらいいのかと途方に暮れていたに違いないのです。自分の態度が悪かったとは言え、自分だって好きで女主人の旦那と関係を持ったわけではなく、奴隷として自分の主人に従うしかなかった。悲しく弱い立場にあったのです。また元いた場所に戻って、女主人との気まずい関係を続けなければならないのは、かなり気が重いことです。

 ところが彼女はそのことばに従いました。

16:13 そこで、彼女は自分に語りかけた主の名を「あなたはエル・ロイ」と呼んだ。彼女は、「私を見てくださる方のうしろ姿を見て、なおも私がここにいるとは」と言ったのである。

 ハガルは自分に語られたのが「私を見てくださる神」だと告白し、勇気を出して、女主人のところに戻り、男の子を産みました。

16:15 ハガルはアブラムに男の子を産んだ。アブラムは、ハガルが産んだその男の子をイシュマエルと名付けた。

 私たちも神様の御声に従って行かなければなりません。たとえ状況が厳しくても、自分の感情がついていかなかったとしても、神様が私たちを見ていてくださり、みこころを示して導いてくださることを信じていきましょう。 どんな荒野の中にいても、神様が私たちをご覧になっていて、私たちの必要を満たしてくださると信じて踏み出す時、私たちもハガルのように、慰めと励ましをいただいて、希望を持って力強く歩むことができるのです!

3.出産したハガル

 この後の16節にあるように、ハガルが男の子イシュマエルを産んだ時、アブラハムは86歳でした。時を経て21章で、サラも身ごもって男の子を産んだとあります。その時、アブラハムはなんと100歳(21:5)!

 つまり、神様がアブラハム夫妻との約束を果たされるまで、イシュマエル誕生後14年の歳月がかかったということになります!14年は長いです。過去のことだったら、「あっという間」だと振り返るでしょう。

 今から14年前といえば、2011年。東日本大震災の年。大きな出来事で、今でも鮮明に記憶している部分もありますが、過去の記憶はやがて薄れていきます。それだけいろいろなことが14年間に詰まっているからです。同様に今から14年後、2040年の未来への約束は、ものすごい先のことのようでぼんやりしてしまいます。

 神様がアブラハム夫妻と結んだ約束は、何年後というはっきりした数字がありませんでした。いつ果たされるか分からない。その上、子どもを産む年齢はとうに過ぎていてまさに不可能の域に入っていたわけです。神様の約束は本当に果たされるのか??

 ということで、アブラハム、サラ、ハガル、イシュマエルの4人の関係はなかなか難しいものだったんじゃないでしょうか。腹違いの弟、イサクが生まれるころは14歳だったイシュマエル。ティーンエージャーで、まさに多感でセンシティブな年ごろです。

4.サラの出産後の事件 

 サラが息子イサクを産んでしばらくすると、事件が起きました。

21:8-9 その子は育って乳離れした。アブラハムはイサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催した。サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに産んだ子が、イサクをからかっているのを見た。

 よりによってイシュマエルが、イサクの乳離れの時期、つまり1~3歳くらいのかわいい盛りにある時にイサクをからかっているのを目撃してしまったのです!ブチっとサラの堪忍袋の緒が切れました。14年間、アブラハムの子として、我慢しながら面倒を見てきたイシュマエルが、自分が産んだ愛おしい小さなイサクをからかっている!彼女はハガルとイシュマエルを追い出すようにとアブラハムに言いました。

 アブラハムは非常に苦しんだようですが(v.11)、神様の許しをいただいてハガル母子を追い出すことにしました。

21:14- 翌朝早く、アブラハムは、パンと水の皮袋を取ってハガルに与え、彼女の肩に担がせ、その子とともに彼女を送り出した。それで彼女は行って、べエル・シェバの荒野をさまよった。

 今度の荒野は、ハガルが選んだ道ではありません。追い出されてしまったのでした。

15- 皮袋の水が尽きると、彼女はその子を一本の灌木の下に放り出し、

自分は、弓で届くぐらい離れた向こうに行って座った。「あの子が死ぬのを見たくない」と思ったからである。彼女は向こうに座り、声をあげて泣いた。

神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神が、あそこにいる少年の声を聞かれたからだ。…」

 人間は、水を飲まないと4,5日で死んでしまうと言われます。アブラハムがどれくらいのサイズの皮袋を持たせてくれたのか分かりませんが、そんなに多い量ではなかったでしょう。ですから、このかわいそうな母と子は、死を目前にしていました。けれどもこの状態も神様はご覧になり、少年の声を聞いてくださっていたのです。

 そしてハガルの名前を呼んで、聞いてくださいました。「ハガルよ、どうしたのか」と。そういえば、前回の荒野に逃げ出したときも「サライの女奴隷ハガル、あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」(16:8)と呼び掛けてくださっていました。

 神様は憐れみ深いお方です。どんなに小さな者をも見捨てることなく、心配し、救ってくださるお方です。ですから、弱い立場で、時代と状況の犠牲者とも言えるハガルを覚えておられ、名前を呼び、約束を下さいました。

21:18b わたしは、あの子を大いなる国民とする。」

 事実、この時死にかかっていたイシュマエルには子孫が与えられ、アラブ諸国の祖となりました。ご存じのように、アブラハムの子孫は、イサクからの流れであるユダヤ人と、イシュマエルからの流れであるアラブ人、パレスチナ人がいます。ということで、私たちは、今日も続いている中東の争いに、2人の誕生の時に現れた嫉妬と不和が続いていることを見るのです。

 私たちも同じように嫉妬や不和の間を行ったり来たりする小さく愚かな存在です。嫌なことは避けて逃げようとします。しかしながら、神様のまなざしは私たちにも注がれていて、神様は私たちの名前も呼んで「〇〇、どうしたのか。あなたはどこから来てどこへ行くのか」と尋ねておられるのです。

5.私たちが学ぶこと

 ハガルの姿から私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。

① 誘惑から身を守ること

 私たちは周りに流されることなく、誘惑から身を守るべきです。

 当時の文化や習慣によれば、奴隷の身分である者が、主人の子を産むのは名誉なことと考えられていたかもしれません。でも、神様の目に、そのことは不道徳な罪でした。

 ハガルが自分の主人であるアブラハムとサラの信じるまことの神様を信じていたかは定かではありません。ですから、主人サラの命令が正しいか正しくないかを理解していたかは分からないですし、その命令を拒否したかどうかも分かりません。でも、神様はそのことを良しとはされなかったのです。

② 感情的に行動することの戒め

 彼女はサラから苦しい仕打ちを受けて逃げ出しました。どんないじめで、その仕打ちをどれくらい我慢したかは書いてないので分からないのですが、彼女は神様に頼るのでなく、自分で何とかしようとして先走り、逃げ出してしまいました。

 確かに、私たちも苦しい目に遭うと、目の前の問題に心捕らわれます。そしてまずは自分の力で何とかしようとします。つまり、神様に頼るよりも前に、感情に流されて動いてしまいやすい者です。けれど、神様は引き戻してくださいました。

③ 神の守りと導きは決して離れない

 そんな反面教師のハガルをも、神様は守り、導いてくださいました。どんなに弱い立場で、身分の低い者であっても、神様は守り、教え、導き、祝福してくださるのです!

=====

 私たちもハガルのように、自分の手に負えないような状況の中で神を信頼することの難しさを覚えます。たとえ何が起こっても神に信頼できる秘訣は、なんでしょう?それは、神の支配を信じ、悟り受け入れることです。神は私たちの人生に何が起こっているかをご存じです。神があなたの人生に介入することを受け入れていきましょう。

ローマ8:28 神を愛する人たち。すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。

 
 
 

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