神様に信頼する

mat4:17 この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。

「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。

mat4:18 イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、

ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。

彼らは湖

で網を打っていた。漁師だったからである。

mat4:19 イエスは彼らに言われた。

「わたしについて来なさい。

あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。

mat4:20 彼らはすぐに網を捨てて従った。

メッセージの結論

神に信頼する

キリストと弟子たちの歩みから私たちは、

どのように主と共に生きるべきかを学ん行きたいと思います。

信仰の歩みは私たち一人ひとりが

狭い門をくぐり、主とともに歩む必要があります

一人ひとりが信仰に立つ必要があるのです。

なぜなら、信仰の歩みは他人に代わってもらうことができないからです。

神を疑ってしまうこともありますが、

苦しい時にこそ信仰を働かせることが必要であり、

その信仰を見て神は喜んでくださるのです。

神が喜ばれる歩みは祝福が絶えません。

ですのでクリスチャンの生活の醍醐味は神に信頼するといえます。

1福音を伝える

mat4:19「わたしについて来なさい。

あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。

と主は言われます。

私たちはキリストの弟子としてなすべきことは人を取る漁師になるということです。

これは魂を獲得する、福音を伝えていくという意味です。

福音を伝える役割は牧師や伝道師だけがする任務ではありません。

キリストの弟子である私たち一人ひとりに語られています。

伝道は難しいので無理だと思うかもしれませんが、

主が導いてくださることであり、聖書は時が良くても悪くてもしっかりと福音を伝えていきなさいと語っています。

ですので主が命じられたのであれば、そのに伴う力を与えてくださることを信じて、

一歩踏み出すものでありたいと思います。

実際キリストはこう言われています。

「私があなたがたを人間を取る漁師にしてあげよう」というのです。

私たちに自力で頑張れと言っているわけではないのです。

ゼカリヤ書には「権力によらず能力によらず我がれ霊によって」とあります。

神の超自然的働き(福音を伝え永遠の命を与える)

は私たちの力ではそもそも不可能と言えます。

覚えておきたいポイントは

私たちが人間をとる漁師になろうとするのではないくキリストについて行く時に、

主が漁師としてくださるということです。

福音を伝えることはキリストと共に生きることになるので、

神をより身近に体験しいくこととなるでしょう。

*神を伝える人は祝福される。

神とともに生きることをなくして、神を知ることはできません。

しかし、神と共に生きるならば神を体験し成長すします。

そして神と親しい関係が与えられるのです。

神の愛も、柔和さも、誠実さも、形で見ることはできませんが、神とともに生きるならば、神の思いが語られ、神の深みを体験するのです。

知識として知っている神ではなく、

生きている神を実感することは私たちにとって大きな祝福となります。

2私たちは試練を通される

mat8:23 イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。

mat8:24 すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。

ところが、イエスは眠っておられた。

mat8:25 弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。

「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。

mat8:26 イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。

《それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。

普通嵐では寝られないだろう、

神に信頼し切っている者の姿を見せたのかもせれません。

あえて主は試練や困難をゆるされ、そこを私たちは通されます。

それは必要なことと言えます。

試練や困難を好きな者はいないだろう、

しかし、苦しみは私たちを砕き、へりくだらせ、

神に従うこと学ばせるのです。

心が砕かれ、もう一度神を求め、近づいて行こうとする時、

私たちは更なる平安が与えられることを知るでしょう。

psm119:71★苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。

私はそれであなたのおきてを学びました。

試練は私たちを試すだけではなく、

神ご自身のもとに引き寄せること、

苦しい中、信仰が成長する、苦しみやチャレンジから逃げるべきではない。

(もったいないインストラクター)

信仰は信じる時に成長するのです。

いつも簡単なことばかりしていては成長しないが、

限界を少しずつ超えることをすると、筋力も体力もついていくのです。

そして、試練は、

3:ただ試練だけで終わるのではない、

祝福に変えられる、

rom8:28★神を愛する人々、すなわち、

神のご計画に従って召された人々のためには、

神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、

私たちは知っています。

☆神を愛する者には、

神が全てのことを働かせて、

最善としてくださる、

注意すること(神を愛する人々のためには)と書いている

神から遠ざかる時に、私たちは打ち倒されてしまいます。

サタンの働きは私たちを苦しめ、打ち倒しますが、

キリストに近づいて行く時に、サタンの攻撃は排除されるのです。

*何故風と波を叱りつけられたのでしょうか。

それはその背後にサタンの働きがあったからです。

主はサタンの攻撃をお叱りになります。

(サタンの働きの説明、風と波を叱りつけられた背後に働く存在を叱っている、)

私たちは神に信頼することによって試練を神に近づく踏み台とすることができます。

4サタンの攻撃を知る

神との信頼関係を壊す、恐れ(心配、患い)と言うサタンの武器

恐れはサタンの武器であり攻撃手段です。

それに囚われる時、私たちの信仰生活が破壊される。

mat14:24 しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、

風が向かい風なので、波に悩まされていた。

mat14:25 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、

彼らのところに行かれた。

mat14:26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、

「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、

叫び声を上げた。

mat14:27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、

「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。

mat14:28 すると、ペテロが答えて言った。

「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、

とお命じになってください。」

mat14:29 イエスは「来なさい。」と言われた。

そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。

mat14:30 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、

「主よ。助けてください。」と言った。

mat14:31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、

彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」

mat14:32 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。

ペテロは(来なさい)と言われる時に、その言葉を信じました。

彼は向かってきている者がキリストとならば水の上を歩けると思ったからです。

そして水の上を歩くという奇跡が起こりました。

神の言葉を信じ、行動する時に奇跡が起こると言えます。

しかしその後ペテロは風をみてこわくなり、

そして、沈んてしまいました。

沈み続けると人間は溺れ、そして死んでしまうのです。

しかし、キリストが近づきペテロの手を取られると彼は平安になり、

信頼し再びキリストとともに湖の上をあるくのです。

*神に近づく時に奇跡が起こり。

恐れに囚われた時に沈みました。

神に信頼するとき私たちは力を受けます。

神を疑うときに私たちは力を失います。

しかし、神は絶えずペテロの手を取ったように、

私たちが手をのばせは届く近いところにいてくださるのです。

風を見たとありますが風は目には見えないのです。

風には実態がありません。

実態のないものを恐れ信仰が揺らぎます。

サタンからの恐れによる攻撃といえます。

人が恐れそうなことを、

あたかも起こるかのようのふっかけてくるのです。

サタンは常に私たちの心を脅す、

恐れに満たす、

恐れは私たちの可能性を潰し、

萎縮させ行動に制限をかける、

そして、信仰を失わせ、

私たちを沈めます。

しかし、恐れさせる情報は偽の情報で、

必ず主はみ手を伸ばし私たちを救ってくださいます。

なぜならサタンは信仰に歩むクリスチャンを恐れているからです。

恐れや心配にとらわれ続けることなく、

問題は問題の中にあるにあるのではなく、

問題に囚われ続けることなのです。

マタイ21:21イエスは答えて言われた。

「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言っても、そのとおりになります。

祈り、恐れを捨て、疑わない信仰を与えられましょう、

信仰の友を大切にする

弟子は一人ではありませんでした、様々な性格の弟子がいました、

励ましあったり、批判しあったり、失敗しながら成長しました。

共通することはキリストに行動したことです。

私たちは偶然にここにいるのではなく、

神から選ばれ、導かれてここにいます。それは私たちに周りにいる多くの人々を、

神の近くへ導き、祝福の基となるためと言えます。

主の選びは不思議です。

主は網を洗っていた漁師ペテロをお選びになりました。

ペテロはイエス様の一番近くで話を耳にしていた者でしたが、

あまり期待をしていなかったのかもしれない、

しかし、主はペテロを選ばれた、

そして、「わたしについて来なさい。

あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。

と語られたのである、弟子たちは後々、聖霊を受けて見事に変わり、

多くの人々に福音を届けて行きました。

私たちにも主は、人間を取る漁師にしようとかたられています。

聖霊に満たされ福音を伝えるもにでありたいと思います。

使徒1:8

act1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、

あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

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