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実を結ぶ人生

「さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言う べきことを教えよう。」出4:12 john15:1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。 john 15: 2わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを 取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、 刈り込みをなさいます。 john 15: 3あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことば によって、もうきよいのです。 john 15: 4わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中 にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけで は実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしに とどまっていなければ、実を結ぶことはできません。 john 15: 5わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。 人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっている なら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、 あなたがたは何もすることができないからです。 john 15: 6だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、 枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて 火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。 john 15: 7あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあ なたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求 め なさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられ ます。 john 15: 8あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となる ことによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。 「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しま した。わたしの愛の中にとどまりなさい。john 15: 9

結論1:わたしの愛の中にとどまりなさい 9節私の愛に留まりなさいと語られています。10節までに10回 ギリシャ語でとどまるは「メノー」ということばは滞在する、 泊まる、宿泊する、住む、いっしょにいるという意味があるそう です。 ・留まるとは継続的に神とともに生きることです なぜ、私の愛に留まれと語られるのでしょうか。それは、神の 愛に留まり続けることは簡単ではなく、私たちに会えて命令す る必要があるからなのです。 ・神の愛にとどまることは、クリスチャンになったからと言っ て、自動的にできることではありません。「私の愛に留まれ」 と語られる理由は私たちはいつの間にか神の愛から離れてしま うからでしょう。 私たはこの世の早い流れの中に置かれています。一見何も変わり ないと感じますが、この世の流れは早く急なのです。しらず知ら ずのうちに世の価値観に流されてしまうのです。 見た目は何も動いていないかのように見えますが(海の流れの 速さ 素人には流れが見えない)試練や困難に私たちが囚われて しまうと、いつの間にか主から遠ざかってしまうのです。 意識して神の愛にとどまらなければならないのです。意識して主 の愛にとどまるときに、確信がさらに与えられ、神の働きをみ るのです。 そして、何よりも神ご自身が私たちとともにいたいと願ってお られるので、何度も、私の愛にとどまりなさい、私の元にきなさ い、私についてきなさいと語られるのです。

john15:1わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農 夫です。 ・木とつながる必要 私たちは木と繋がり新鮮な栄養を受け続ける必要があります。 神がぶどうの樹であり、私たちは木につながる必要があります。 ぶどうは木につながることで成長します。 ・偽物に気をつける 誠のぶどうの木と言うことは偽物もあるのです。皆さんとか神と の関係はどうなっていますか、日々主の愛を受けているでしょ うか。 私たちは注意深くキリストにつながりそこから栄養を受けう必 要があります。神と繋がっているのならば私たちは多くの良い影 響を受けます。しかし、そうでないならば、神以外の様々な悪影 響を心に受けるのです。皆さんは今どこから栄養を受けていますか。

2:刈り込まれるべき思い john 15: 2わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを 取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、 刈り込みをなさいます。 ・私たちの目的は実を結ぶものとなることです。 花を咲かせることではない。 よく、人生の花を咲かせるといいますが、そうではありませ ん。人間が咲かせる花は散ります。しかし、私たちの目的は実を 結ぶものとなることです。美味しい実を結ばせるならば、多くの 人を祝福するのです。 ・自分の花を咲かせるよりも、実をもって多くの人に祝福を与 えてください。 ・競争より成長 刈込の目的・それは多くの実を結ぶためなのです そして、より多くの身を結ぶために刈り込みをなさるのです。 これは神様ご自身が私たち手入れをしてくださるのです。 ※私たちは真理以外に力が奪わられることがないように、余分 な枝を刈込まれる必要があります。※写真 主から意識をそらす、この世の心使い・嫉妬・批判・怒り・コン プレックス、これらものもは私たちの心を奪い、心に悪い影響 を及ぼします。 剪定がなければ身が育たない※時として痛みが伴い、決心も必 要かもしれません。祈ること・み言葉に従うこと・試練に会う 時、自分の思い通りにいかない時、時として祈りに答えられな いことがありますが、そのような時が一番尊い期間でこれは主 からの剪定なので、私たちが多くの身を結ぶものへと変えられて いる時なのです。 3:神の言葉に留まる john 15: 3あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことば によって、もうきよいのです。 ・み言葉生きることが聖さの秘訣 ダビデは、「あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのこと ばを心にたくわえました。(詩篇119:11)」と言いまし た。みことばの中にいるときに罪から離れることができ、罪の 中にいるときに、みことばから離れています。 ・神の言葉とは 覚えておきたいことは聖書は神の言葉であり、 「神の心からの言葉」が66巻を通して私たちに語られているの です。聖書から神のことばを頂けることは大きな祝福なのです。

私たちの今日の生き方から、将来に繋がる導きを受けることが できます。 4:・行いによって留まるのではなく信仰によって john 15: 4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどま ります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結 ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっ ていなければ、実を結ぶことはできません。 留まることは行いによってすることではありません。能力が高 いからとか、奉仕をしていることで繋がるのではなく、自然に 信頼と信仰のうちにとどまるのです。 信仰によって神と結びつけられなければ益とはならない。ヘブ ル4:2 神を信頼して生きる時、私たちは自然と成長する。 ・植物も木の実も頑張って成長するのではあリません。 私たちも同じで良い栄養を受けて成長するのです。 ・乳児と母の関係 母親が落ちないように抱っこしている。それと同じように、神 の方が私たちを掴んでつないでいる。

john 15: 5わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。 人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっている なら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あ なたがたは何もすることができないからです。 5:留まるならば御霊の実が結ばれ成長する (御霊のみーそれ以外は地に属してい 神の御霊  Gal. 5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、 善意、誠実、 Gal. 5:23 柔和、自制です。このようなものに反対する律法はあ りません。 もし、私たちが思いが神の愛に留まり続けるなら、御霊のみの が現れ始めるのです。ものとなるのです。そして、その影響は多 くの人に主の臨在が伝わるのです。 しかし、それ以外の例えば、恐れや嫉妬、苦い思いが心にある ならば、いつの間にかネガティヴな思いに沿った、不平不満や 攻撃的な言動や態度となってしまいます。 ・心がどこに留まるのかー注意深く自信を観察する ※主の愛に留まり続けるか、そうではないかで私たちの行動が 変わります。※同じ神を信じていても生き方と態度が大きく変 わってしまうのです。

※ですので、神の愛に留まり続けることは信仰者として非常に 大切で、自分の心が何に留まっているのかを注意深く知る必要 があります。 つまり受ける影響によって結ぶ実がかわってしまうのです。御霊 のみは歓迎できますが、それ以外の実は毒々しく食べられたも のではありません。 皆さんはどんな人間に成長したいですか。私も、皆さんにも神 からの影響を受けた美味しい実を結んでいただきたいのです。 ※私たちが囚われやすく心に影響を与える代表的なもの 1.人からの評価を気にする 2.他人と自分を比べる 3.自分を見つめすぎる 大切なことは あなたがどう思うのか なにを信じて根ざすのか ・わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからであ る。 ↑人間の価値観という木に繋がりやすい。神以外のものに とらわれるならば何もできなくなってしまう。

・しっかりと神と繋がるならば 「パウロは私は私を強くしてくださる方によってどんなことで も出来る」言いました。ピリピ4:13 私たちはかけの多いものですが、主に繋がる時にどんな事も神 の助けによって全てをなすことができるのです。 パウロは体に咎、弱さがありました。その弱さを抱えながら宣 教したのです。その結果、多くの教会が建ちました。その後は投 獄されましたが、そこでも宣教を諦めずに数々の教会に手紙を 書きました。そして、多くの教会の人々が励まされ、救われ、 異端を見分け、成長したのです。 ・そして、2000年後に生きる私たちにも励ましを与え続けてい るのです。 もし、パウロが私は病気だから宣教は無理だ、口下手だから伝 道は無理だ、投獄されたからもうおワタとなったとしたら今頃 どうなっていたでしょうか。おそらく神様は他のメッセン ジャーを立てたと思いますが、パウロにとっては大きな祝福を 逃す事になったでしょう。 .パウロが大胆な宣教活動をして多くの人々を励ますことができ たのは、何事においても主に繋がり神に頼った結果なのです。 6:留まるとはみ言葉に生きること john 15: 6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、 枝のように投げ捨てられて、枯れます。 人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまい ます。 15:7 あなたがたがわたしにつながっており、 わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、 なんでも望むものを求めるがよい。 そうすれば、与えられるであろう。 ・みことばを心に留める もう一つ主の愛に留まり続けるため大切なこととして、み言葉 に聞く、事です。(私の言葉があなたがたのうちに留まるなら) 信仰は聞くことから始まりますが、日々、キリストに聞くこと をなくして、力溢れる信仰生活を送ることはできません。 ・聞くことがゴールではない 同意して歩む みことばを歓迎する そして、みことばに留まるとは、与えられた御言葉を心の中で 否定したり、迫害したりすることなく、心も行動も完全にみ言 葉に同意する必要があります。 ※様々な工夫が必要でしょう。(スマホメモ) み言葉を知っているだけではペパードライバーのようなもので、 神の言葉に歩む時にさらに神を知るのです。信じて踏み出し、期 待してしたがえば主が生きておらることがわかるのです。 ・副産物 心の底からみ言葉に同意していく時に、私たちの祈りは御心に そうようになり、御心の祈りがささげられるのです。そして御心 を祈る時にそれが叶えられます。

※み言葉に歩む時、聞いた話と違う!!と困惑することもある が怯まない信仰には戦いがあり、信仰によって神につながるの です。 弟子たち・嵐 キリスト寝ている 絶望を感じる時があるかもしれませんが、その絶望を超えるほ どの祝福があリます。 john 15: 8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによっ て、わたしの父は栄光をお受けになるのです。 父がわたしを愛されたように、 わたしもあなたがたを愛しました。 わたしの愛の中にとどまりなさい。 john 15: 9主 ご自身が何よりも私たちと共にいたいと望んでいる愛の現れ 主ご自身が何よりも私 私たちと関わりたいと願っている神様の熱い思いの現れです。 ですので、「神は私たちから片時も離れたくないのです。」 John 15:11 わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたが たが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらの ことをあなたがたに話しました。John 15:12 わたしがあなたが たを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これが わたしの戒めです。 ・少子高齢化 引きこもりの問題愛が冷め 悲惨な事件が起 こっていく中で 皆さんこの日本でどういきていきたいです か? 主の愛を受けている者として 日本を牧会してくださ い!主は必ず力を与えてくださいます。

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