黙示録七つの教会に学ぶ

黙示録七つの教会に学ぶ

川口竜太郎 牧師 20200712

黙示録は難解な書簡ではあるが、理解する者にとっては祝福となる。 予言の完結編 1:3 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。

ギリシャ語の、Makarios マカリオスという単語が使われています。これは、 1. 最高に祝福される 2. さびない健康 3. 思いもよらない恵み などの意味があります。

【2】 黙示録1:7 1:7 見よ、彼が雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見 る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。                                                                  彼が雲に乗って来られる=テーマは、イエス・キリストの再臨 すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る=

黙示録 34:6 主は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、 怒るのにおそく、恵みとまことに富み、 34:7 恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の 咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」 なぜなら、神が終末の時代に生きる私達に励ましの言葉を送り、 世界に臨む大患難から守られるように警告与えておられるからです。 イエス・キリストが再臨される。 正確な日時は示されていません。が、世が終わるという事ははっきりと語られています。 わたしたちの住む現代は、少なくとも2000年前より終わりに近いと言えます。 当時の人よりも、現代に生きる私達の方が理解できる。

結論からいうならば、 私達はこの終日の時代に信仰に燃え、伝道に励む者でありたい。 2つの命令が2000年前から変わっていない。

7つの手紙から学ぶ

7つの手紙は当時の教会の現状と、現代の教会の現状を、同時に語っている。 7つの教会には様々な長所と短所があり、神からの励ましと警告の言葉が書かれている。それは、終末生きる私達に対する神様からのメッセージであり、 大患難から私達を守りたいという神の愛の現れであると感じます。

1:11 その声はこう言った、「あなたが見ていることを書きものにして、それをエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤにある七つの教会に送りなさい」。

エペソ 2:2 わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。 労苦と忍耐を持って正しく歩んでいた教会であった。 滞りなく全ての事が順調だったかもしれないが、一番大切な愛が無くなってしまっていると警告されている。 2:4 しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。 初めの愛から離れてしまった。と評価されている。 正しくても愛がなければ神様に喜ばれることはない。 いつのまにか全てが義務化して、喜んで神に使える姿勢が無くなってしまったのかもしれない。 2:5 そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。と悔い改めを迫られている。

スミルナ 大迫害を受けている貧しい教会 。 現実の貧しさにも拘わらず、「あなたは実際は富んでいる」という言葉によって、 神から良い評価を与えられている。霊的に祝福されている教会。 2:9 わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている。 主はスミルナの直面している困難な状況をご存じだが、 そこから直ちに解放される約束はない。むしろ 2:10「あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない・・・死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう」 と忍耐を命じる。 現在、中国やイスラム圏迫害を受けている教会がある。 ペルガモ ペルガモにはローマ皇帝を礼拝する神殿が建てられていた。 ヨハネはその様子を「サタンの王座がある」と書いている。 2:13 わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの座がある。あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住んでいるあなたがたの所で殺された時でさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。 スミルナのキリスト者同様、激しい迫害の下に置かれ殉教者を出した。 わたしに対する信仰を捨てなかった」と賞賛されている。 しかし「あなたには少しばかり非難すべきことがある」とも言われている。 2:14 しかし、あなたに対して責むべきことが、少しばかりある。あなたがたの中には、現にバラムの教を奉じている者がある。バラムは、バラクに教え込み、イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせたのである。 ニコライ派の教えの影響があった。 偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせた… と警告されている。教会が信仰が偶像礼拝化していた。カトリックなど、 教会は殉教者をだすほどの迫害に耐えてきた。 しかし、小さな罪にも神様は妥協せず悔い改める事を願っている。 迫害に耐えていれば、小さな罪を冒して良い訳ではない。 テアテラ 愛と奉仕を褒められている。 テアテラ教会については「あなたの近ごろの行ないが初めの行ないにまさっていることも知っている」と評価されている。 2:19 わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている しかし、あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。 この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、 偶像にささげたものを食べさせている。 教会は不道徳を行い、偶像礼拝化している。 この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、 大きな患難の中に投げ入れる。 と警告されている。 勢いが初めより増していれば良い訳ではなく、誠実に歩む事が求められている。

サルデス 3:1 サルデスにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。 3:2 目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。 サルデス教会の陥っている霊的な無気力状態を指すものであろう。 活動していない訳でもなく、罪を犯しているわけでもない。 神の言葉が全て全うされていない。という状態。 儀式、形式、伝統ばかりでか活気がなく、御霊と御力の現れがなかったのかもしれない。

3:4 しかし、サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。 行いは評価されているもの達が数人いた。 彼らは信仰を持って神とともに生きていたと言える。 しかし、神の言葉が全うされていない状態は死んでいると評価されている。 イエスキリスト、神を学び、聖霊を学ばないことや、御霊の実は知っていても、 御霊の賜物は知らない状態など…

その逆も言える。聖霊ばかりを知っていて、悔い改めをしらない、 御霊の賜物は求めるが、御霊の実がないなど… 偏りのある信仰

フィラデルフィア 目立ったところはなかったが堅く信仰に立っている教会。神様からの評価。 3:8 わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。 力は乏しかったが、主の御名を愛していた。 3:10 忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。 大患難をま逃れる。力は乏しかったが、この教会には叱責はない。

ラオデキア この世に対して妥協を重ねて来た教会。経済的にはとんでいたが、霊的には滅んでいた。 3:15 わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。 3:16 このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。 3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。 しかし 主は、ラオデキヤの現状を憂えているが、決して見放してはいない。 3:19 すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。 3:20 見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。と悔い改めを促す。 スミルナとフィラデルフィアには励ましの言葉だけが与えられている。 私達自身の信仰の、教会の現状はどの教会に当てはまるでしょうか。

神様は愛するものを、励まし、時には叱責なされます。 私達がいまどのような信仰に立って行動しているかを吟味し、 力は乏しくとも主を愛し主と共に生きるフィラデルフィアの教会のようでありたいと願います。

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