耶穌基督是教會的根基
宣召:詩篇5:3
題目:耶穌基督是教會的根基 キリストは教会の土台である
聖經:哥林多前書3:10-15 以弗所書2:19-22
新聖詩:20,254,389
啟應文:28
大家平安! 願主耶穌的平安與大家同在。
今天讓我們分享耶穌基督是教會的根基。
主イエスの平安が皆さんとともにありますように。
「イエスキリストは教会の土台である」ということについて分かち合いましょう。
一、耶穌基督是教會的根基。
參考的經文①:哥林多前書3:10-15
在這段經文中保羅用「聰明的工頭立好了根基」來比喻耶穌基督與教會的關係。
「我照上帝所給我的恩典,好像一個聰明的工頭,立好了根基,別人在上面建造;只是各人要謹慎怎樣在上面建造。」立好的根基是耶穌基督,此外沒有人能夠立別的根基。(哥林多前書3:10~11節)
一、イエス・キリストは教会の土台である
参照聖句①:コリントの信徒への手紙一 3章10〜15節
パウロは「賢い建築主として土台を据えた」という例えを用いて、イエス・キリストと教会との関係を説明しています。
「わたしは、神からいただいた恵みによって、賢い建築主のように土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。ただ、それぞれどのように建てるか、注意しなければなりません。だれも、既に据えられている土台以外のものを据えることはできないからです。この土台とはイエス・キリストのことです。」(コリントの信徒への手紙一 3章10〜11節)
保羅將福音的種子放在哥林多教會,而另外一個同工亞波羅幫助信徒的信心不斷地成長,可惜的是,教會卻是因為效忠於兩個教會領袖而鬧分裂。保羅勉勵哥林多教會,作為教會的領袖是成為栽種和澆灌的僕人,唯有耶穌基督是教會的根基。
パウロはコリントの教会に福音の種を蒔き、同労者であるアポロは信徒の信仰が成長するよう助けました。しかし残念なことに、教会は二人の指導者のどちらに忠誠を尽くすかをめぐって分裂を起こしてしまいました。パウロはコリントの教会を励まし、教会の指導者とは植えたり水を注いだりするしもべにすぎず、ただイエス・キリストだけが教会の土台であると伝えたのです。
兄弟姊妹們!我們要記著,我們的教會事件基於耶穌基督,信徒的我們將信仰建立在主耶穌基督上,吸取屬靈的養分來成長。
3:14節 「人在那根基上所建造的工程若能保得住,他將要得賞賜。」如此,好的工程將來會得到賞賜,不好的工程,就要被燒毀了。
兄弟姉妹の皆さん! 私たちの教会はイエス・キリストの上に成り立っているということを覚えておきましょう。信徒である私たちは、主イエス・キリストの上に信仰を打ち建て、霊的な養分を吸収して成長していくのです。
3章14節:「だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報酬を受けます。」
このように、良い仕事は将来報いを受けますが、良くない仕事は焼失してしまうのです。
參考的經文②:以弗所書2:19-22
1. 「被建造在使徒和先知的根基上」
「使徒和先知」並不是教會真正的根基,而是指他們跟隨耶穌,他們受聖靈感動傳講的福音和所見證的真理。教會建立在上帝所啟示的真理之上,而這真理的中心就是耶穌基督。
2. 「基督耶穌自己為房角石」
房角石是整座建築最重要的一塊石頭,它的位置決定整棟建築的方向、角度和穩固程度。因此,耶穌基督不只是教會的一部分,而是:信仰的根基;教會的中心;信徒生命的依靠。離開了基督,再好的建築也無法真正站立。
感謝上帝,信徒們的信心因著主耶穌基督而得著建立了。
「靠着他整座房子連接得緊湊,漸漸成為在主裏的聖殿。你們也靠他同被建造,成為上帝藉着聖靈居住的所在。」(以弗所書2:21-22)
参照聖句②:エフェソの信徒への手紙 2章19〜22節
1. 「使徒や預言者という土台の上に建てられている」
「使徒や預言者」は教会そのものの真の土台ではなく、彼らがイエスに従い、聖霊の感動を受けて宣べ伝えた福音と、証しした真理を指しています。教会は神が啓示された真理の上に建てられており、その真理の中心こそがイエス・キリストなのです。
2. 「イエス・キリスト御自身がそのかなめ石である」
かなめ石は、建物全体の中で最も重要な石であり、その位置が建物全体の方向、角度、そして安定性を決定します。したがって、イエス・キリストは単なる教会の一部ではなく、信仰の土台、教会の中心、信徒の命のよりどころなのです。
キリストから離れてしまえば、どれほど優れた建物であっても真に立ち続けることはできません。
神に感謝します。信徒たちの信仰は、主イエス・キリストによって確立されました。
「キリストにおいて、暗合する全体が組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。あなたがたもキリストにおいて、共に建てられて、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」(エフェソの信徒への手紙 2章21〜22節)
二、教會中體會主耶穌的愛
教會基本上可以說是一種生活方式,也就是福音的生活方式。
在教會裡,我們不只是談前進,也談後退;不只是談成功,也談失敗。聖經中的許多人物都是如此,例如有些君王曾經忠心跟隨上帝,卻也有跌倒失敗的時候。
因此,教會不只是談生命,也談死亡,因為基督信仰強調:唯有經過死亡,才能進入真正的生命。
上帝的獨生子耶穌成為真正的人,來到世上,勸勉人努力進入上帝的國,不要被這個世界的罪惡和誘惑所絆倒。
耶穌為世人的罪犧牲自己的生命,並以自己為根基建立了教會。教會是基督的身體,也是使徒和門徒所傳承下來的信仰群體。耶穌稱他們為「小小的羊群」。歷代以來,教會經歷了無數困難和迫害,許多信徒甚至為了信仰而殉道,仍然堅定地為基督作見證。
簡單來說,基督信仰信息的中心,就是傳揚耶穌基督的受苦、受死與復活。信徒透過默想和經歷這一切,逐漸體會救恩的深刻意義。
我們還記的耶穌在逾越節所設立的聖餐?逾越節所發生的事件,是整個救恩歷史的中心,也就是耶穌基督的受難與復活。耶穌在逾越節設立聖餐之後,為世人捨命,被釘在十字架上。
上帝藉著耶穌所流的寶血,使人得著赦罪和新的生命。耶穌帶領我們經過罪惡、痛苦與死亡,進入新的生命,成為上帝國的子民。
基督徒相信,聖禮是上帝恩典可見的記號,也是上帝施行救恩的重要方式。奧古斯丁曾說,聖禮是「外在可見的記號,彰顯內在無形的恩典」。透過洗禮和聖餐,聖靈將基督的恩典真實地臨到信徒身上。
雖然我們無法完全明白其中的奧祕,也難以用人的理性完全解釋,但上帝藉著聖禮使我們經歷耶穌基督的能力,觸動我們的內心,堅固我們的信心。
今天,我們也繼續學習跟隨耶穌基督,彼此服侍,忠心傳揚福音,使更多人認識基督,直到福音傳遍天下。
二、教会の中で主イエスの愛を体感する
教会とは、根本的には一つの「生き方」、すなわち「福音の生き方」ということができます。
教会においては、私たちは前進することだけでなく撤退についても分かち合います。成功だけでなく失敗についても分かち合います。聖書の中の多くの人物もそうでした。例えば、かつて忠実に神に従いながらも、つまづき失敗した王たちもいました。
したがって、教会は命について語るだけでなく、死についても語ります。キリスト教信仰は「死を通り抜けてこそ、真の命に入ることができる」ということを強調しているからです。
神の独り子であるイエスは真の人となり、この世に来られました。そして、この世の罪や誘惑につまずくことなく、神の国に入るよう励まされたのです。
イエスは世の人々の罪のためにご自身の命を捧げ、自らを土台として教会を建てられました。教会はキリストの身体であり、使徒や弟子たちから受け継がれてきた信仰の共同体です。イエスは彼らを「小さな群れ」とお呼びになりました。歴史を通じて、教会は無数の困難や迫害を経験し、多くの信徒は信仰のために殉教することさえありましたが、それでも堅く立ってキリストを証しし続けました。
簡単に言えば、キリスト教信仰のメッセージの中心は、イエス・キリストの苦難、死、そして復活を宣べ伝えることです。信徒はこれらを黙想し、体験することを通して、救いの深い意味を次第に体感していくのです。
イエスが過越の小羊の食事の際に制定された聖餐を覚えているでしょうか。過越の時に起こった出来事こそ、救済史全体の中心、すなわちイエス・キリストの受難と復活です。イエスは過越の食事の際に聖餐を制定された後、世の人々のために命を捨て、十字架につけられました。
神は、イエスが流された尊い血によって、人々に罪の赦しと新しい命を与えてくださいました。イエスは私たちを罪と苦しみ、そして死から導き出し、新しい命へと入らせ、神の国の民としてくださったのです。
クリスチャンは、聖礼典が「目に見える神の恵みのしるし」であり、神が救いを行われる重要な手だてであると信じています。アウグスティヌスはかつて、聖礼典とは「内なる不可視の恵みをあらわす、外なる可視のしるしである」と言いました。洗礼と聖餐を通して、聖霊はキリストの恵みを実に鮮やかに信徒の上にもたらしてくださるのです。
私たちはそのミステリーを完全に理解することはできず、人間の理性で説明し尽くすことも難しいですが、神は聖礼典を通して私たちにイエス・キリストの力を体験させ、私たちの心を動かし、信仰を強めてくださいます。
今日も私たちはイエス・キリストに従い続け、互いに仕え合い、忠実に福音を宣べ伝え、福音の知らせが全地に広まるまで、より多くの人がキリストを知ることができるよう歩んでいきましょう。
三、小結
感謝上帝的帶領讓我們認識福音。我們為了目前所擁有的獻上感恩。
感謝主的恩典讓我們在教會再相遇,主耶穌的愛感動了我們,讓我們在一起,來分享祂的恩典,為了我們擁有這份愛而獻上感恩。
我們感謝主耶穌,在教會裡面有愛主的兄弟姊妹,互相的關懷,互相的理解,我們也是願意與身邊的親友交流。
今天我們學習到了,耶穌基督是教會的根基,我們都是教會的兄弟姊妹,願意將我們的信仰建立在主耶穌基督的根基上,學習在生命當中的彼此扶持。
感謝主的恩典,我們是有福氣的。主看我們為寶貝。 (以賽亞書43:4)
願主賜福大家!
三、まとめ
福音を知らせてくださった神の導きに感謝いたします。私たちがもっているすべての今に感謝を捧げましょう。
主の恵みによって教会で出会えたことに感謝します。主イエスの愛が私たちの心を動かし、私たちを一つにしてくださったからです。恵みを分かち合い、愛を与えられていることに感謝を捧げましょう。
教会の中には主を愛する兄弟姉妹が互いに配慮し、理解し合っています。私たちは身近な家族や友人とも交わりし、主イエスに感謝します。
今日私たちは、イエスキリストが教会の土台であることを学びました。私たちは教会の兄弟姉妹であり、主イエスキリストという土台の上に自らの信仰を打ち建て、生涯において互いに支え合うことを望みます。
私たちは祝福された存在です。主は私たちを宝のように尊いと思ってくださっています。
「わたしの目には、あなたは貴く、重んじられるもの」(イザヤ書 43章4節)
主に祝福が皆さんの上にありますように!



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