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預言者エレミヤ

  • taiwanchurchtokyo
  • 21 分前
  • 読了時間: 17分

「預言者エレミヤ」

 

エレミヤ26:1-24 (聖書朗読はv.1-11,20-24)

 

1 ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの治世の初めに、主から次のようなことばがあった。

 

2 主はこう言われた。「主の宮の庭に立ち、主の宮に礼拝しに来るユダのすべての町の者に、わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな。

 

3 彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすればわたしは、彼らの悪い行いのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直す。

 

4 彼らに言え。『主はこう言われる。もし、あなたがたがわたしに聞き従わず、あなたがたの前に置いたわたしの律法に歩まず、

5 あなたがたに早くからたびたび遣わしてきた、わたしのしもべである預言者たちのことばに聞き従わないなら――実際、あなたがたは聞き従わなかった――

 

6 わたしはこの宮をシロのようにし、この都を地上のすべての国々の、ののしりの的とする。』」

 

7 祭司と預言者と民全体は、エレミヤがこのことばを主の宮で語るのを聞いた。

 

8 主が民全体に語れと命じたことをみな、エレミヤが語り終えたとき、祭司と預言者とすべての民は彼を捕らえて言った。「あなたは必ず死ななければならない。

 

9 なぜ、この宮がシロのようになり、この都がだれも住む者のいない廃墟となると、主の名によって預言したのか。」そこで、民全体は主の宮のエレミヤのところに集まった。

10 これらのことを聞いてユダの首長たちは、王の宮殿から主の宮に上り、主の宮の新しい門の入り口で座に着いた。

11 祭司たちと預言者たちは、首長たちと民全体に次のように言った。「この者は死刑に当たる。彼がこの都に対して、あなたがたが自分の耳で聞いた通りの預言をしたからだ。」

 

12 エレミヤは、すべての首長と民に告げた。「主が、この神殿とこの都に対して、あなたがたの聞いたすべてのことばを預言するよう、私を遣わされたのです。

 

13 さあ今、あなたがたの生き方と行いを改め、あなたがたの神、主の御声に聞き従いなさい。そうすれば主も、あなたがたに語ったわざわいを思い直されます。

 

14 このとおり、私自身はあなたがたの手の中にあります。私を、あなたがたの目に良いと思うよう、気に入るようにしなさい。

 

15 ただ、もしあなたがたが私を殺すなら、あなたがた自身が咎なき者の血の責任を、自分たちと、この都と、その住民に及ぼすのだということを、はっきり知っておきなさい。なぜなら、本当に主が私をあなたがたのもとに送り、これらすべてのことばをあなたがたの耳に語らせたのですから。」

 

16 すると、首長たちと民全体は、祭司たちと預言者たちに言った。「この人は死刑に当たらない。彼は、私たちの神、主の名によって、私たちに語ったのだから。」

 

17 それで、この地の首長たちの何人かが立って、民全体に言った。

18 「かつてモレシェテ人ミカも、ユダの王ヒゼキヤの時代に預言して、ユダの民全体にこう語ったことがある。‥‥‥‥

19 そのとき、ユダの王ヒゼキヤとユダのすべては彼を殺しただろうか。ヒゼキヤが主を恐れ、主に願ったので、主も彼らに語ったわざわいを思い直されたではないか。ところが、私たちはわが身に大きなわざわいを招こうとしている。

 

20 主の御名によって預言している人がもう一人いた。キルヤテ・エアリム出身のシェマヤの子ウリヤで、彼はこの都とこの地に対し絵t、エレミヤのことばすべてと同じような預言をしていた。

 

21 エホヤキム王、すべての勇士、首長たちは、彼のことばを聞いた。王は彼を殺そうとしたが、ウリヤはこれを聞いて恐れ、エジプトへ逃げて行った。

 

22 そこで、エホヤキム王は人々をエジプトに遣わした。すなわち、アクポルの子エルナタンに人々を随行させて、エジプトに送った。

 

23 彼らはウリヤをエジプトから導き出し、エホヤキム王のところに連れて来たので、王は彼を剣で打ち殺し、その屍を共同墓地に捨てさせた。

 

24 しかし、シャファンの子アヒカムはエレミヤをかばい、エレミヤが民の手に渡されて殺されることのないようにした。

 

挨拶

おはようございます。今月も皆さんとともに、主を賛美し、礼拝できる恵みを感謝します。今日は最近私が自分のデボーションで読んでいるところからみことばを分かち合わせてください。今はエレミヤ書を読んでいます。

 

大家好!早安!我很感恩這個月能再次與你們一起讚美敬拜主。今天我想分享我最近靈修讀到的一節經文。我們現在正在讀耶利米書。

 

序:エレミヤとはどんな人

 1:1を読むとエレミヤがどんな人なのか見えてきます。祭司ヒルキヤの子として、エルサレムの北東4キロほどのところにあるアナトテの街に生まれました。そして、 20歳ごろ(BC627、ユダのヨシヤ王の治世13年ー宗教改革運動を始めたときーⅡ歴代誌34:3)に預言者として召されます。

 

從1章1節,我們可以看出耶利米是怎樣的人。他出生於耶路撒冷東北方約4公里的亞拿突城,是祭司希勒家的兒子。他大約在20歲時被呼召為先知(西元前627年,猶大王約西亞在位第十三年,新教改革運動開始之時-歷代誌下34章3節)。

 

 国を治める王様がヨシヤとエホアハズの時代は、順調に働くことができたようですが、次のエホヤキムの時代になると事情が変わってきました。彼はトータル40年以上、(BC627 -BC583)預言者として活動をしましたが、彼の生きていたこの時代は、南ユダ王国が崩壊し、民がバビロンに捕らえ移されるという、国にとっても民にとっても、最も暗い、悲劇的な時代だったのです。

 

在約西亞和約哈斯的統治下,猶大王國看似運作順暢,但在約雅敬的統治下,情況開始改變。約雅敬擔任先知超過40年(西元前627年-西元前583年),但他所處的時代對猶大王國及其人民來說都是黑暗而悲慘的時期,南部猶大王國覆滅,其人民被擄至巴比倫。

 

 エレミヤの罪の告発は人々に受け入れられず、孤独な戦いを強いられました。民のリーダーたちは、敵国バビロンの勝利と自分たちユダ王国の捕囚を宣言するエレミヤの預言を、神のみことばとして聞こうとはせず、聞かないばかりか彼を迫害し、とらえて牢獄に入れました。

 

百姓不接受耶利米的控告,​​被迫孤軍奮戰。百姓的領袖們拒絕聽從耶利米的預言,因為他宣告敵人巴比倫的勝利和猶大王國的被擄,而耶利米的預言是上帝的話。他們不但不聽,反而迫害他,逮捕他,把他關進監獄。

 

 そしてBC586、エルサレムが陥落したとき(C.39)エレミヤは敵国バビロン王の好意によって釈放され、その後新しい総督ゲダルヤ(=26:24のシャファンの子アヒカムの子!)に仕えました。けれどゲダルヤが暗殺された後は、エジプトに亡命する人々によって強制的にエジプトに連れていかれ、そこでも預言者として活動を続けて(C43~)、そこで死んだと思われます。

 

西元前586年,耶路撒冷陷落(約39年),耶利米蒙巴比倫敵王的恩寵獲釋,轉而侍奉新任總督基大利(= 沙番之孫,亞希甘之子,見26:24!)。然而,基大利遇刺後,他被逃往埃及的民眾強行擄往埃及,在那裡他繼續擔任先知(約43年),並被認為死在了那裡。

 

 つまり彼は、南ユダ王国のリーダーがエホアハズ→エホヤキム→エホヤキン→ゼデキヤと移り変わった時代、そしてさらに捕囚後のしばらくの期間、活動したのでした。

 

換句話說,他在猶大南部王國的領導權從約哈斯到約雅敬、約雅斤到西底家的轉變時期以及被擄後的一段時間內都很活躍。

 

1.エレミヤの預言と人々の反応

 この事件の起こった時期が最初に記されます。「エホヤキムの治世の初め」とは、B.C.609秋から608春の間、つまり今から約2630年ほど前の頃と考えられるようです。

 

1. 耶利米的預言與百姓的回應

這起事件最早被記載的時間是“約雅敬登基之時”,據信是在公元前609年秋季至公元前608年春季之間,約2630年前。

 

 エレミヤは、神様に背いて歩んでいる王と、その王の下で同じように歩んでいる民に向かって、神のことばを取り次ぐ使命を受けて、神から預言者として立てられました。(1:5「わたしは、あなたを胎内に形作る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」)

 

耶利米被神興起為先知,他的使命是向悖逆神的王和在王手下行事悖逆的人民傳達神的話語(1:5「我未將你造在腹中,我已曉得你;你未出母腹,我已分別你為聖,已派你作列國的先知。」)。

 

 そのエレミヤに今回、主が命じられたのは、主の宮の庭に立って「わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ」しかも「一言も省くな」(v.2)というものでした。神がエレミヤに与えられたことばが喜びと楽しみに満ちたものだったら、この命令は「はい、喜んで!」と従いやすいことだと思います。

 

這次,耶和華吩咐耶利米的命令是,要站在耶和華殿的院子裡,“說我所吩咐你的一切話”,“不可漏掉一句話”(2節)。如果神給耶利米的話語充滿喜樂和歡欣,我想,他應該很容易就順服這命令,說:“是的,歡歡喜喜地!”

 

  ところが、主が期待されていたのは、民が「悪の道から立ち返る」(v.3)ことです。この場合、神に聞き従うとは、律法を守ることであり、神が遣わした預言者に耳を傾け、聞き従うことです。そして、もしこの主のみことばを軽んじ続けるなら、「わたしはこの宮をシロのようにし、この都を地上のすべての国々の、ののしりの的とする」(v.6) と警告されました。

 

然而,耶和華所期望的是百姓「回頭離開他們的惡行」(3節)。在這種情況下,順服上帝意味著遵守律法,聽從並順服祂所差遣的先知。他警告說,如果他們繼續無視耶和華的話語,「我必使這殿如示羅,使這城在地上萬國中被羞辱」(6節)。

 

 「シロのように」と言われているシロは、ペリシテ人に打ち負かされて神の箱を奪われた昔の聖所でした。たとえ神に選ばれた聖なる場所であっても、神の裁きによって破壊されることもありうるという例としてシロが引き合いに出されています。

 

示羅,即聖經中提到的「像示羅」的地方,是一座古代聖所,後來被非利士人攻陷,並擄獲了神的約櫃。示羅被用作一個例子,說明即使是神所揀選的聖地,也可能被神的審判摧毀。

 

 それに対し(v.7-9)「祭司と預言者と民全体は、…エレミヤ…を捕らえて」「あなたは必ず死ななければならない。なぜ、この宮がシロのようになり、この都がだれも住む者のいない廃墟となると、主の御名によって預言したのか」と非難しました 。

 

作為回應(第7-9節),“祭司、先知和眾民就拿住耶利米,辱罵他說:‘你必定要死!你為什麼奉耶和華的名預言,說這殿必像示羅一樣,這城必荒涼,無人居住呢?’”

 

 確かにサムエルの時代に幕屋があったシロは廃墟となりましたが、当時のエルサレム神殿、主の宮は、幕屋以上の素晴らしい建造物、神聖なものでした。現代の基準からするとそれほど大きいものではありません(幅約9m、長さ約27m、高さ約13.5m)。でも、それまでにイスラエル人が建てた中では最大の建造物だったと思われ、人々の礼拝の中心ですから、それを冒涜するような預言(=廃墟となる!?)が神のことばであるはずはない!と彼らには思われたのでしょう。新約の時代、イエス様がご自分を神の子であると宣言なさって、パリサイ人や律法学者たちに、神を冒涜する者として目の敵にされたのと通じています。

 

誠然,撒母耳時代聖幕所在的示羅如今已成廢墟,但當時耶路撒冷的聖殿,也就是耶和華的殿,卻比聖幕更宏偉神聖。以現代的標準來看,它並不算特別大(約9公尺寬、27公尺長、13.5公尺高)。然而,它很可能是當時以色列人建造的最大建築,也是他們崇拜的中心。因此,他們很可能認為,褻瀆它(也就是說,讓它倒塌!?)的預言不可能是上帝的話!這與新約時代的情況類似,當時耶穌自稱是上帝的兒子,卻被法利賽人和文士斥責為褻瀆者。

 

 そこで、エレミヤは告発され、裁判にかけられたのです。この時、中心になってエレミヤを告発したのは祭司と預言者たちでした。神と人々の間に立ち、とりなし、神のことばを伝える責務を負っているはずの彼らが、民全体を煽動し、エレミヤのことを(v.11)『この者は死刑に当たる』と言います。

 

於是耶利米被指控並受審。當時,祭司和先知帶頭控告耶利米。他們本應站在上帝和人民之間,代求並傳播上帝的話語,但他們卻煽動全體人民,對耶利米說(第11節):“這個人該受死刑。”

 

 しかしエレミヤは、なおも(v.12,13)「主が……私を遣わされたのです。さあ今、あなたがたの生き方と行いを改め、あなたがたの神、主の御声に聞き従いなさい。そうすれば、主も、あなたがたに語ったわざわいを思い直されます。」と人々に悔い改めを迫ります。なんと大胆でしょう!自分の死をちらつかされている中でのことばとは思えません。

 

但耶利米仍然敦促百姓悔改,他說(第12、13節):「耶和華差遣我去。現在你們要改正你們的行動作為,聽從耶和華你們神的話,使耶和華後悔所說的災禍降與你們。」 多麼大膽啊!很難相信,在他面臨死亡威脅的時候,竟然說了這些話。

 

 そればかりか、エレミヤは(v.14-15)「私を、あなたがたの目に良いと思うよう、気に入るようにしなさい。」と言い放ち、「もし……私を殺すなら、あなたがた自身が咎なき者の血の責任を、自分たちと、この都と、その住民に及ぼすのだということを、はっきり知っておきなさい。なぜなら、本当に主が私をあなたがたのもとに送り、これらすべてのことばをあなたがたの耳に語らせたのですから」と、主のさばきを大胆に語り続けました。

 

此外,耶利米(14-15節)宣稱:“你們可以隨意處置我,隨你們所喜悅的,隨你們所想的。” 並繼續大膽地宣告耶和華的審判,說道:“你們若殺我,你們要確實地知道,你們必使無辜人的血歸到你們和這城,並其上的居民身上。因為耶和華必差遣我到你們這裡。

 

 すると‥‥変化が起こりました。この警告を聞いた「首長たちと民全体」は態度を変えます。(v.16) 「この人は死刑に当たらない。彼は私たちの神、主の名によって……語ったのだから」

 

然後……變故發生了。聽到這個警告後,「眾首領和眾民」的態度都改變了。 (16節)“這人奉耶和華我們神的名說話,不該死。”

 

 あまりにも大胆で、確信に満ちたエレミヤのことばと態度に、目が覚めたのでしょうか。それとも恐れてひるんだのでしょうか。聖書は明言していないので分かりませんが、もしかしたら、エレミヤを信じたというより、彼のことばが神からのものであった場合の保険をかけたに過ぎなかったのかもしれません。

 

他們是否被耶利米大膽自信的話語和態度所喚醒?還是他們因恐懼而退縮?聖經沒有這樣記載,所以我們無從得知。或許,他們並非相信耶利米,而是想以防萬一,以為他的話是來自上帝的。

 

2.エレミヤの態度の根拠

 ところで、ここまでのエレミヤの大胆な主張には、自分を遣わされた神に対するゆるぎない確信と服従の姿勢が現れていると言えます。それは同時に、自らの、預言者としての召命の、譲ることのできない確信に通じています。

 

2. 耶利米態度的基礎

耶利米迄今為止的大膽斷言,彰顯了他對差遣他的上帝的堅定信心和順服。同時,這些斷言也反映出他對自己先知使命的堅定信念。

 

 1章で、神が彼にかけられたことばをもう一度見てみましょう。

 

(v.5,7,8)「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」

 

讓我們再看看上帝在第一章中對祂說的話:

 

(第5、7、8節)“我未將你造在腹中,我已曉得你;你未出母腹,我已分別你為聖;我已派你作列國的先知。”

 

「…わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。」

 

 この神の命令が、約束が、エレミヤを立たせていました。神が召された、主が自分を呼んでくださった—―その召命の自覚こそが、エレミヤをどのような状況にも屈しない預言者として立たせる力となりました。どんなに悲惨な時代であっても、たとえ自分のいのちが脅かされても、彼は預かった神のことばを人々に忠実に伝えたのです。

 

「……凡我差遣你的,你都要去遵行;凡我吩咐你的,你都要傳揚。不要懼怕他們,因為我與你同在,要拯救你。”

 

是上帝的這番命令和應許,使耶利米得以興起。正是他對自身使命的認識──上帝呼召了他,主呼召了他──賦予他力量,使他成為一位不屈服於任何境況的先知。即使在最艱難的時刻,即使在生命受到威脅的時候,他也忠實地向人們傳達上帝託付給祂的話語。

 

 

3.おまけエピソード?

 ところで、v.20-23に挿入されているひとつのエピソードがあります。エレミヤが主の宮で捕らえられ、裁判にかけられたにも関わらず死刑を免れたことと関連して、エレミヤと同じ内容の預言をしていたという預言者ウリヤの記事です。彼についてはここだけにしか記されていないので、詳しいことは一切わかりません。しかし、彼の結末はショッキングです。エレミヤと同じように主の御名によって預言していたのに殺され、埋葬されるのではなく、共同墓地に捨てられてしまったのです。

 

3. 額外內容?

順便說一下,20-23節插入了一集。故事與耶利米在耶和華的聖殿被捕受審,但最終逃脫死刑有關,故事講述了先知烏利亞,據說他預言了與耶利米相同的事情。由於我們只在這裡讀到關於他的記載,所以對其細節一無所知。然而,他的結局令人震驚。儘管他像耶利米一樣奉耶和華的名預言,但他最終還是被殺了,而且沒有被埋葬,而是被埋葬在一個萬人坑裡。

 

 なぜでしょう?ウリヤはエレミヤ同様、神から預かったことばを人々にちゃんと伝えていたのになぜ殺されてしまったのでしょう。

 

 v.21を見ると、ウリヤは王の殺意を聞いて、恐れて逃げたことが分かります。やるべきことはやっていたのに、彼は人を恐れたのです。気持ちは容易に想像できます。誰だっていのちは大切ですから。

 

為什麼?像耶利米一樣,烏利亞忠心地向人民傳達上帝的話語,為什麼他會被殺?

 

在第21節中,我們看到烏利亞聽到國王要殺他時,感到害怕,逃跑了。即使他已經做了他該做的事,但他仍然害怕人。他的感受很容易想像。畢竟,每個人的生命都是寶貴的。

 

 しかしこのウリヤのエピソードが加えられたことで、エレミヤが人々に「この人は死刑にあたる/あたらない」と言われていたのが、口先だけでなく、本気も本気、まさにいのちに関わるきわめて危険な状況に置かれていたことが証明されたと思います。

 

然而,加上烏利亞這個事件,我相信這證明了當耶利米告訴人們「這個人不會被判死刑」時,他不僅僅是說說而已,而是認真的,而且這個人處於極其危險的境地,生命受到威脅。

 

 

 しかしエレミヤは亡命の道を選ばず、人々の前で主のことばを堂々と語り、生きることを許されました。神から託された真実のことばを聞き、悔い改める者によって、エレミヤは保護され、預言者としての使命を全うしていくのです。この時だけでなく、どんな時もエレミヤは、様々な助けが与えられて守られ続け、神から遣わされたまことの預言者として歩んでいきました。

 

然而,耶利米並沒有選擇流亡,而是被允許活著,並在百姓面前公開宣講上帝的話語。耶利米受到那些聆聽上帝託付給他的真言並悔改的人的保護,得以履行先知的使命。不僅在此時,在任何時候,耶利米都得到各種幫助和保護,走上了上帝差遣的真正先知的道路。

 

 

 神のことばは、人間の思いの中で受け入れられたり拒まれたりします。ですからこれを語る預言者は実のところ本当に孤独だと思います。けれども、神のことばは神ご自身の圧倒的な力によって人間の思いを超えたところで実現していくのです。実際、この後バビロンに連れていかれたイスラエルの民は、神の約束通り、帰ってくるのです。今日はそのことは取り上げませんが、それも不思議な歴史的事実だと思います。

 

上帝的話語在人類的思想中要麼被接受,要麼被拒絕。因此,我相信說出這些話的先知確實是孤獨的。然而,上帝的話語卻以一種超越人類思維的方式,透過上帝自身強大的力量得以實現。事實上,在這之後,被擄到巴比倫的以色列人將會回歸,正如上帝所承諾的。我們今天不會深入探討這個問題,但我認為這也是一個神秘的歷史事實。

 

 エレミヤのように、状況に惑わされず、しっかりと神のことばを語り続ける預言者をもつ民は幸いです。そして、そのことばを聞いて従う民は神の祝福を得ます。

 

擁有像耶利米這樣不被環境左右,堅定地傳講上帝話語的先知的人是有福的。而聽見並遵行這話語的人,必蒙上帝祝福。

 

4.最後に

 あなたは今、エレミヤの立場に自分を置いて聞いておられるでしょうか。それならば心に留めてください。私たちの人生も、同じようです。エレミヤたちのように死と隣り合わせというような状況ばかりではありませんが、周りからは理解されず孤独で、苦しく厳しい歩みを強いられることがあります。でも、そんな中でも主を見上げ、主の召しに従っていくとき、必ず助けが与えられることを覚えていてください。

 

4. 最後

你是否正站在耶利米的立場聆聽?如果是,請牢記這一點。我們的生活很相似。雖然我們可能不像耶利米和他的人民那樣總是瀕臨死亡,但有時我們也會遭受誤解、感到孤獨,被迫走上一條艱難而艱辛的道路。但即使在這些時刻,請記住,只要我們仰望主並遵從祂的呼召,我們必蒙幫助。

 

 あるいはエレミヤを取り囲む民の一人として聞いておられるでしょうか。神のことばを聞いたなら、ご自分の生き方を点検しましょう。v.13「さあ、今、あなたがたの生き方と行いを改め、あなたがたの神、主の御声に聞き従いなさい。そうすれば、主も、あなたがたに語ったわざわいを思い直されます。」今のあなたには方向転換するべきことがあるでしょうか。

 

還是你正像耶利米周圍的人一樣在聽呢?聽完神的話語後,要省察自己的生活方式。第13節:「現在你要改正你的行動作為,聽從耶和華你神的話,使他後悔所說的災禍降與你。」你現在需要改變什麼嗎?

 

 神はしばしば、私たちの感覚では受け入れがたいこと、理解しがたいことを語られます。時間やお金の使い方について、社会情勢に関して、人間関係において…。でもそれは、聖書の神が、「人間の期待や願いから生まれた存在ではない」ことの何よりの証拠です。私たちは主の御声を聞き、従うものでありましょう。今からでも遅くはありません。主は、わざわいを思い直されるとおっしゃっているのですから。

 

上帝常常說一些我們難以接受或理解的話。關於我們如何運用時間和金錢,關於社會狀況,關於人際關係……但這正好證明了聖經中的上帝並非源自於人類的期望或慾望。我們必須聆聽並順服主的聲音。現在還不晚,因為主已經說過,祂會後悔祂所降下的災禍。

 
 
 

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